「ヒカシュー」 巻上公一を中心としたテクノポップバンド 「テクノ御三家」『P-MODEL』『ヒカシュー』『プラスチックス』

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シングル『20世紀の終りに』で
1979年にデビューした、巻上公一
を中心とする、「テクノ御三家」
の一つにも数えられたバンドは?
ーュナバン
カトシッヒ
→ヒカシュー

1978年にボーカルの巻上公一を中心に結成。デビューから数年間のイメージでニュー・ウェーヴ・ロックやテクノポップ・バンドとして認知されているが、結成当初から演劇、フリーインプロヴィゼーション、民族音楽を取り入れたアプローチを続けていた。その後もジャズ、クラシック、雅楽など幅広い要素を取り込みながら活動を続け、現在はインプロヴィゼーションを演奏の根幹に取り込みながら、即興と作曲が共存するノンジャンルの音楽を志向している。メンバーの変遷を続け、体外的な活動も兼ねてはいるが、現役で活動している。
バンド名は山下康が武満徹の作品「ヒカ(悲歌、Hika)」からとって命名したものだが[1]、メンバーは公の場では明言を避け、「鏡に映った唇がそうささやいた」(山下康)、「驚いた時に上げる叫び声の造語」(巻上公一)などとコメントしている。
引用元: ヒカシュー – Wikipedia.

巻上 公一(まきがみ こういち、1956年1月25日 – )は日本の音楽家、プロデューサー。作詞、作曲家であり、歌手に留まらないヴォイスパフォーマーとして国際的に知られている。演奏は、口琴、テルミンなどの特殊なものから、コルネット、ベース、エレクトロニクスなど複数の楽器をこなす。静岡県熱海市出身[1]。神奈川県立小田原高等学校卒[要出典]。
ノンジャンルなバンド「ヒカシュー」のリーダーである。デビュー当時は「テクノ御三家」の一つにも数えられたが、例外を作り出す音楽を真骨頂としている希有なバンドとして長期的に活動している。自らをパタフィジックソングとインプロのグループと定義している。
引用元: 巻上公一 – Wikipedia.

テクノポップという言葉は、1978年、大阪で『ロック・マガジン』を発行していたロック評論家の阿木譲が、クラフトワークのアルバム『人間解体』のレビューで使ったのが初出とされている[5]。この造語を気に入った坂本龍一がさまざまな媒体に出演して使ったことにより、一般に広まったといわれている[6]。
1980年ごろYMOブームが起きると、YMOに続く「テクノ御三家」としてP-MODEL、ヒカシュー、プラスチックスが紹介された。プラスチックスはファッションデザイナーらによって結成されたバンドで、のちのバブル期の日本を先取りしたような「軽さ」をうち出していた[7]。演劇畑出身のヒカシューは、クラフトワークの『モデル』を能・狂言のような邦楽的な歌唱法でカバーした。P-MODELはもともとブラック・サバスとキング・クリムゾンに影響を受けたプログレバンドのマンドレイクが、電子音とバンドサウンドを同期させたスタイルに転じたものであった。彼らに共通しているのは電子楽器の使用だけでなく「軽さへの指向」である。テクノポップは、日本にとって1970年代の文化の重さから脱出するための一つの方法論であった[8]。 
引用元: テクノポップ – Wikipedia.