【広島、安芸国】二葉の里出身

『古き花園』『村の一本橋』
『夜のプラットホーム』などの
ヒット曲がある、戦前・前後に
かけて活躍した女性歌手は?
二井あも子
大島とり江
秋田ゆき代
二葉あき子(答)
25%

二葉 あき子(ふたば あきこ、1915年2月2日 – 2011年8月16日)は、日本の女性歌手。

来歴[編集]
広島駅のすぐ北側、広島県広島市大須賀町二葉(現在の東区二葉の里)出身で、芸名は二葉の里で安芸の国と地元からとる。本名は加藤芳江[1]。

広島県立広島高等女学校(現在の広島県立広島皆実高等学校)を経て、1935年、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)師範科卒業。音楽学校在籍中、東京音楽学校の奏楽堂で同校期待の増永丈夫の美しいバリトンを聴いて感銘を受ける。その増永丈夫はすでに藤山一郎として流行歌手として名をなしていた。

戦後になると、「別れても」「夜のプラットホーム」「恋の曼珠沙華」「さよならルンバ」「村の一本橋」など多くのヒット曲を放った。1950年の「水色のワルツ」は、綺麗なメロディーに二葉あき子の歌唱が合い、人々に潤いをあたえた。

日劇では同じコロムビアの淡谷のり子、笠置シヅ子、渡辺はま子らとよくステージに立った。

NHK紅白歌合戦にも1951年の第1回から1959年の第10回まで10回連続出場した(詳細は下記参照)。第6回では代表曲の一つである「バラのルムバ」で紅組トリを務めるなど、渡辺はま子・淡谷のり子・松島詩子・笠置シヅ子と並ぶ創世記の紅白を代表する女性スターでもあった。
引用元:二葉あき子 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E8%91%89%E3%81%82%E3%81%8D%E5%AD%90