竹内まりや・山下達郎


歌手・山下達郎の妻は歌手の
竹内まりやである
◯(答)
81%


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竹内まりや
『告白』(答)

竹内 まりや(たけうち まりや、1955年3月20日 – )は、日本のシンガーソングライター、ミュージシャン。通称「シンガーソング専業主婦」[1]。本名:山下 まりや(旧姓:竹内)。島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身で、実家は1877年創業の老舗旅館、竹野屋旅館。父親は実業家・元大社町長である竹内繁蔵。6人兄弟の三女。所属レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。所属事務所はスマイルカンパニー。夫はシンガーソングライター・ミュージシャンの山下達郎で、山下との間に一女がいる。血液型はA型。

少女時代 – デビュー直後
島根県簸川郡大社町[3](現出雲市)出身。生家は出雲大社正門前に位置する老舗旅館『竹野屋旅館』[注 1]。4女2男の6人兄弟の三女[4]。世界で通じるようにとの父の考えから「まりや」と名付けられる。

この頃にアレンジャーとして竹内の前に現れたのが、後に公私にわたるパートナーとなる山下達郎である。もっとも、デビュー以前からシュガー・ベイブや山下のライブを見に行っていたと語っており、特に自らのデビューライブ直前に見た山下のライブには大きなインパクトを受けたという[6]。当初、山下は竹内のレコーディングにアレンジャーとして起用されたが、同じRVC所属のシンガーのレコーディングに際しては、双方がコーラスに起用されるなど、その関わりは密になっていった。こうして次第に懇意になり、1980年頃から山下のマンションで同棲生活を始めた[4]。

竹内まりやの結婚前の作品は、山下達郎をはじめ、加藤和彦、細野晴臣、告井延隆(センチメンタル・シティ・ロマンス)、大貫妙子、林哲司、伊藤銀次、杉真理、安部恭弘、浜田金吾といった作家が提供している。

結婚 – 1990年代
1981年、過酷なスケジュールの中で喉を痛めたことや、アイドル的な活動へのオファーと自身の希望する活動とのギャップに悩み、音楽活動に一旦整理をつける意味から一時休業を宣言。1982年4月に山下と結婚。これ以降メディア露出はほとんどなくなったが、同時に作詞家・作曲家として活動を開始し、河合奈保子に提供した「けんかをやめて」「Invitation」などヒットを放つ。しかし1982年、山下の担当ディレクター小杉理宇造がRVCから独立しアルファ・ムーンを設立。山下も「役員兼所属ミュージシャン」として移籍。「記念に一枚」のつもりで、1984年にシングル「もう一度」、そして全曲を竹内自身が作詞・作曲したアルバム『VARIETY』をリリース[注 5]。最終的には30万枚以上のヒットになった。同年、長女が誕生する。
引用元:竹内まりや – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%86%85%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%82%84