村上義清「砥石崩れ」で武田信玄に勝利した北信濃の大名

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上田原の戦い、砥石崩れと
武田信玄に2度も大勝した
戦国武将は◯◯義清?
◯の苗字をひらがなで答えなさい
むらかみ(答)
「村上義清」
73%


1550年に武田信玄が村上義清に大敗した戦いのことを一般に「◯◯崩れ」という?
といし(答)
「砥石崩れ」

連想
北信濃の戦国大名
長槍を武器に活躍
上田原の戦い
武田信玄に砥石崩れで勝利
村上義清(答)

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次の大河ドラマ『風林火山』の
登場人物とそれを演じた俳優の
正しい組み合わせを選びなさい
村上義清───永島敏行
上杉憲政───市川左團次
宇佐美定満───緒形拳
雪斎───伊武雅刀
上杉憲政───市川左團次

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長野県の名物駅弁
「川中島合戦笹ずし」が搭乗した
のは、大河ドラマ『風林火山』が
放送された年である
×(答)
○『天と地と』

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次の武将・大名を
本拠地とした地域ごとに
グループ分けしなさい

中部地方近畿地方
村上義清
小笠原秀政
一色義直

村上 義清(むらかみ よしきよ)は、戦国時代の武将。北信濃の戦国大名。父は左衛門督村上顕国(頼平・頼衝)。母は室町幕府三管領家の斯波義寛の娘。家臣の出浦国則の妻を乳母とする。正室は信濃守護・小笠原長棟の娘。
信濃埴科郡葛尾城主で、武田晴信(のちの信玄)の侵攻を2度撃退するなどの武勇で知られ、家督相続時には佐久郡・埴科郡・小県郡・水内郡・高井郡など信濃の東部から北部を支配下に収め、村上氏の最盛期に当主となった。実質的には戦国大名としての村上氏最後の当主。
>信虎を追放した武田晴信(武田信玄)の攻勢を受け、天文17年(1548年)、小県南部へ侵攻した武田勢を上田原の戦いで撃退する。この戦いで義清は武田方の初鹿野伝右衛門を討ち取っている。また、村上方の安中一藤太の一槍で倒れた諏訪郡代・板垣信方は上条織部に討ち取られた。この他に武田方は、甘利虎泰・才間河内守などの家臣を失うことになった。
天文19年(1550年)、義清が高梨氏と戦っていて本領を留守にした隙に、晴信が小県の要衝砥石城に侵攻してくる。義清は高梨氏と和睦を結んで急遽反転し、晴信は義清の後詰に戦況不利を判断して退却を開始するが、義清は武田勢を追撃し、大勝をおさめた(砥石崩れ)。この戦いで武田方は足軽大正の横田高松や郡内衆の渡辺雲州を始め、1000名の死傷者を出したという。村上方の死者は193名ほどであったといわれる。
引用元:村上義清 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E7%BE%A9%E6%B8%85

上田原の戦い(うえだはらのたたかい)は、天文17年2月14日(1548年3月23日)に信濃国上田原(長野県上田市)で行なわれた、甲斐国の戦国大名武田晴信(後の信玄)と北信濃の戦国大名村上義清との戦い。家督相続以来、信濃制圧を目指して連勝を続けていた武田晴信はこの合戦で重臣と多くの将兵を失い、初めての大敗を喫した。上田原は、千曲川南岸に展開する段丘平野で、現在は上田原古戦場として保存されている。
引用元:上田原の戦い – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

砥石崩れ(といしくずれ、戸石崩れ)とは、天文19年(1550年)9月に信濃国小県郡(長野県上田市)の砥石城(戸石城)において、甲斐国の戦国大名・武田晴信(信玄)と北信濃の戦国大名・村上義清との間で行われた合戦。
引用元:砥石崩れ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%A5%E7%9F%B3%E5%B4%A9%E3%82%8C