ひえつきぶし「稗搗節」宮崎県の民謡 那須宗久と鶴富姫

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那須大八が登場する
宮崎県民謡です
稗搗節
ひえつきぶし(答)
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ひえつき‐ぶし【稗搗節】

宮崎県の民謡。東臼杵郡椎葉村地方で、稗をつくときにうたわれた仕事歌。源氏の武士那須大八と平家の娘鶴富姫の情話にまつわる歌詞が人気を博し、全国に広まった。
引用元:稗搗節(ヒエツキブシ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E7%A8%97%E6%90%97%E7%AF%80-608440

那須宗久(なす むねひさ)は鎌倉時代初期の武士とされる伝説上の人物。宮崎県椎葉村に伝わる鶴富姫伝説で知られる。通称は大八郎。
引用元:那須宗久 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E9%A0%88%E5%AE%97%E4%B9%85

宮崎県東臼杵郡椎葉村に伝わる労作唄であり、現在では九州の代表的民謡として一般に愛唱されている。

椎葉村は熊本県に近い山村で、米はとれず傾斜のきつい山肌に焼き畑をつくり、稗、粟などを植えて常食としてきた。人家は山のあちこちに点在していて普段は寂しいが、冬の農閑期になると親しい者同士が集まり、立て臼を囲んで威勢よく稗搗きをする。その時の唄なのである。

歌詞のモチーフは、1185年壇ノ浦の戦いで敗れ、この地に逃れた平家残党の鶴富姫と、源氏の追討使那須大八郎宗久との伝説を唄っている。
那須大八と鶴富姫は、現在の上椎葉部落の鶴富屋敷で恋仲となった。大八は武士を捨てて共に暮らそうとするが、鎌倉の大将軍源頼朝から帰還の通達を受け、涙ながらにこの地を去った。この時、鶴富姫は大八の子どもを身ごもっていたという。有名な大八と鶴富姫の悲恋物語である。

現在残っている節は、椎葉村出身の民謡歌手椎葉幸之助の幸之助節、永友勝美が一般受けするように改作した長友節、そして地元に残る元唄の三種類である。南国の民謡らしい陽旋法が親しみやすさを醸し出している。
引用元:解説A15「稗搗節(宮崎)」 – ???? ??? http://matsusakaki.com/?p=173

「搗」について
部首 手 扌
て・てへん
画数 13画
音読み トウ
訓読み う(つ)
か(つ)
か(てて)
たた(く)
つ(く)
漢検 1級
JIS水準 JIS第2水準
引用元:「搗」の部首・画数・読み方 http://kanji.jitenon.jp/kanjih/3714.html

搗 [意味]
つく。すみからすみまで、うすや型の中で、もち米や泥をついてこねる。うつ。布地につやをだすために砧キヌタにのせて布をうつ。とは、こね回して悶着モンチャクを起こすこと。
引用元:搗(トウ,つく,かつ,)の意味や読み,搗を含む男の子の名前 (0件) | みんなの名前辞典 – ここの姓名判断/名前占いはよく当たる! 素敵な名前を探そう https://coreblog.org/c/b_6417.html