『どですかでん』頭師佳孝 『虎の尾を踏む男達』大河内伝次郎 『素晴らしき日曜日』沼崎勲 『醜聞』三船敏郎

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次の黒澤明監督の映画と
その主演俳優の
正しい組み合わせを選びなさい
どですかでん───頭師佳孝
虎の尾を踏む男達───大河内伝次郎
素晴らしき日曜日───沼崎勲
醜聞───三船敏郎
姿三四郎───藤田進

『どですかでん』は、1970年(昭和45年)10月31日公開の日本映画である。四騎の会・東宝製作、東宝配給。監督は黒澤明。カラー、スタンダード、126分。
山本周五郎の小説『季節のない街』を原作とし、貧しくも精一杯生きる小市民の日常を明るいタッチで描いている。黒澤映画初のカラー作品で、黒澤が木下惠介・市川崑・小林正樹と結成した四騎の会の第1作である。第44回キネマ旬報ベスト・テン第3位。昭和45年度芸術祭優秀賞。
>とある郊外の街の貧しい地域。六ちゃんと呼ばれる少年は、学校にも行かず毎日近所の空き地に出かけては、他人には見えない電車を運転し、その電車の音を「どてすかでん」という擬音で表現している。当人は自分が運転手だと本気で信じ込んでいるようで、それを母親は、息子が精神に異常をきたしたと思い嘆くが、六ちゃんは母親の頭のほうがおかしいと考えている。
引用元:どですかでん – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A9%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B%E3%81%A7%E3%82%93

頭師 佳孝(ずし よしたか、1955年3月19日 – )は、大阪府門真市出身の俳優。実兄の頭師孝雄も俳優である。
>1963年公開の新藤兼人監督の『母』に出演、不治の病に冒された子どもの気だるさと不気味さを漂わせた雰囲気が評判となる。映画『赤ひげ』の子役選びに難渋していたスタッフが『母』の試写を見て黒澤明に推薦し、面接した黒澤もいたく気に入り、生活力旺盛な子どもの長次役として『赤ひげ』に出演する。その神童ぶりは、三船敏郎をして「こりゃシャンシャンシャンだ」と言わしめたほどである。
1970年に制作され、同じく黒澤明が監督を務めた映画『どですかでん』では主役に抜擢され、頭師は大きな重圧と戦いながらも、社会の底辺に生きる小市民の悲哀を哀愁たっぷりに演じた。黒澤映画には、このほか『乱』、『夢』、『まあだだよ』などに出演した。
引用元:頭師佳孝 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%AD%E5%B8%AB%E4%BD%B3%E5%AD%9D

『素晴しき日曜日』(すばらしきにちようび)は、1947年(昭和22年)7月1日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明。モノクロ、スタンダード、108分。
敗戦直後の東京を舞台に、貧しさに立ち向かう恋人の姿を描いた作品。脚本はD・W・グリフィス監督の無声映画『素晴らしい哉人生(恋と馬鈴薯)(英語版)』から着想を得ている[1]。東宝争議の影響でスター級の俳優が払底し、主役には新人俳優の沼崎勲と中北千枝子が起用された。作中の終盤では、ヒロインがスクリーン中から観客に向かって拍手を求めるという実験的な演出が行われている。第21回キネマ旬報ベスト・テン第6位。
引用元:素晴らしき日曜日 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E6%99%B4%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%8D%E6%97%A5%E6%9B%9C%E6%97%A5

沼崎 勲(ぬまざき いさお、1916年2月18日 – 1953年8月16日)は、日本の俳優。神奈川県横須賀市出身。
戦後、成瀬巳喜男監督『四つの恋の物語 第二話』、黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』で主演。映画ファンであれば誰でもその名を知る俳優となった。有名俳優となった矢先、東宝争議に巻き込まれ、東宝を退社。その後、独立プロを中心に活躍したが、1953年に藤原杉雄監督『赤い自転車』(製作=第一映画、配給=全逓信労働組合)のクランクアップ前に急逝した。俳優の沼崎悠[1]は遺児。
引用元:沼崎勲 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E5%B4%8E%E5%8B%B2

『虎の尾を踏む男達』(とらのおをふむおとこたち、英題:The Men Who Tread on the Tiger’s Tail)は、1945年(昭和20年)製作、1952年(昭和27年)4月24日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明。モノクロ、スタンダード、59分。
能の『安宅』を下敷きにした歌舞伎『勧進帳』を題材に、義経・弁慶一行の安宅の関所越えを描いた。本作オリジナルの登場人物・強力役に榎本健一をキャスティングしたことで、大河内傳次郎の重々しい演技が象徴する義経一行の悲壮感の中に滑稽味が加味されている。
引用元:虎の尾を踏む男達 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E3%81%AE%E5%B0%BE%E3%82%92%E8%B8%8F%E3%82%80%E7%94%B7%E9%81%94

大河内 傳次郎(おおこうち でんじろう、新字体:伝次郎、1898年2月5日(戸籍上は3月5日)- 1962年7月18日)は、日本の映画俳優。本名は大邊 男(おおべ ますお)。
戦前を代表する時代劇スターの一人であり、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた[1]。サイレント期は、伊藤大輔監督・唐沢弘光撮影のトリオで『忠次旅日記』『新版大岡政談』などの名作を生んだ。悲愴感ただよう演技とスピード感溢れる殺陣で、従来の時代劇スターの定型を破り、人気を不動のものとした[2][3]。当たり役は丹下左膳で、トーキー時代の作品では地元の豊前訛りで「シェイハタンゲ、ナハシャゼン(姓は丹下、名は左膳)」と言う決め台詞で人気を得た。戦後は大物の助演者として活躍した[4]。京都に大河内山荘を造営したことでも知られる。
引用元:大河内傳次郎 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E5%86%85%E5%82%B3%E6%AC%A1%E9%83%8E