第2回「バイオリン」「準優勝は間下友美子」第13回「予選第1問は新聞」「トマト戦争」

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ウイニングアンサーはバイオリン
準優勝は間下友美子
商品は高級ホテル宿泊券
優勝者は北川宣浩
『第1回アメリカ横断ウルトラクイズ』
『第5回アメリカ横断ウルトラクイズ』
『第2回アメリカ横断ウルトラクイズ』(答)
『第3回アメリカ横断ウルトラクイズ』
68%

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決勝の地は西インド諸島
成田空港でピカイチ芸とポン食い
決勝戦は泥んこクイズ
優勝者は小川圭太
『第16回アメリカ横断ウルトラクイズ』
『第12回アメリカ横断ウルトラクイズ』
『第14回アメリカ横断ウルトラクイズ』
『今世紀最後!ウルトラクイズ』(答)
正解率-%
正解率から判断すると、近頃追加された問題でしょうか?

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予選第1問は新聞で発表
オーストラリア初上陸
トマト戦争初登場
優勝は長戸勇人
第13回アメリカ横断ウルトラクイズ(答)

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小説『ウルトラクイズ殺人事件』
ウルトラクイズ音頭が登場
商品は世界一周の旅
優勝者は高橋直樹
『第6回アメリカ横断ウルトラクイズ』(答)
『第1回アメリカ横断ウルトラクイズ』
『第9回アメリカ横断ウルトラクイズ』
『第5回アメリカ横断ウルトラクイズ』

連想
グランドキャニオンでクイズ
バラマキクイズが初登場
商品は競走馬一頭
優勝者は宗田利八郎
第3回アメリカ横断ウルトラクイズ(答)

連想
女性4人による準決勝
泥んこクイズが初登場
商品は1人乗り小型飛行機
優勝者は上田由美
第4回アメリカ横断ウルトラクイズ(答)

連想
メキシコに初上陸
通せんぼクイズが初登場
商品は石油の採掘権
優勝者は真木法男
第5回アメリカ横断ウルトラクイズ(答)

連想
「金時真代」が人気者に
カナダに初上陸
商品はログハウス
優勝者は横田尚
第7回アメリカ横断ウルトラクイズ(答)

金時真代(きんとき・まよ)ちゃん”は、ウルトラで五本の指に入る名ニックネーム。
「松本真代(まつもと・まさよ)さんは知らないが、“金時真代ちゃん”は知っている」という笑い話が伝説としてあるほど有名なニックネームでしたね。
松本さんのご自宅が和菓子屋を営んでいて、その和菓子屋さんが『金時』という名前であることにちなんだニックネームでした。
>お父様の訃報を受け、松本さんは(同行の)石川牧子アナの部屋で一晩中、泣き通しだったそうです。
ウルトラのスタッフは松本さんに帰国を促します。しかし、松本さんは「頑張って勝ち進んだ方がかえってお父さんに喜んでもらえる」と、オルバニーに進出したのです。
放送ではこの件に関して全く触れておらず、そこには、はつらつとした松本さんの姿があるのみ。
…今でも、オルバニーの松本さんの笑顔を思い出すと胸が張り裂けそうになります。
引用元:全マドンナ録 #28 松本真代さん ( その他テレビ ) – アメリカ横断ウルトラクイズ回顧録II – Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/ultra30th/26397964.html

連想
海底で早押しクイズ
マラソンクイズ初登場
商品はクラシックカー
優勝者は石橋史行
第8回アメリカ横断ウルトラクイズ(答)

連想
決勝戦の舞台はパリ
準決勝は◯×クイズ
優勝賞品は潜水艦
優勝者は金子孝雄
第9回アメリカ横断ウルトラクイズ(答)

連想
蒲団屋、部長、ホテルマン
成田空港では腕相撲が登場
北米と南米の王者が決勝で激突
優勝者は森田敬和
第10回アメリカ横断ウルトラクイズ(答)

連想
名古屋縦断ミニトラクイズ
久伊豆神社で国内第2次予選
史上唯一の3人での決勝戦
優勝者は稲川良夫
第11回アメリカ横断ウルトラクイズ(答)

連想
定年が45歳から50歳に延長
南北アメリカ縦断の旅
東京ドームで初開催
優勝者は瀬間康仁
第12回アメリカ横断ウルトラクイズ(答)

連想
アメリカ本土をバスで横断
予選第一問はTVで発表
優勝賞品はカジノのオーナー
優勝者は佐野光邦
第14回アメリカ横断ウルトラクイズ(答)

第1回
Q.パチンコ屋で聞かれる「軍艦マーチ」は誰の作曲?
A.瀬戸口藤吉(せとぐちとうきち)
第2回
Q.名探偵シャーロック・ホームズは、作品の中である楽器の名手として知られていますが、さてその楽器とは?
A.バイオリン
第3回
Q.出生届を出すのは14日以内、では死亡届は何日以内?
A.7日以内
第4回
Q.将棋で互いに同じ手を3度繰り返すことを何という?
A.千日手
第5回
Q.口の中でブツブツとつぶやくことを、カニの何という?
A.念仏
第6回
Q.「波止場」ではマーロン・ブランドを、「草原の輝き」ではウォーレン・ビーティを、「エデンの東」ではジェームス・ディーンを大スターにした映画監督といったら誰?
A.エリア・カザン
第7回
Q.現存する最も大きい両生類は?
A.オオサンショウウオ
第8回
Q.ビートたけしが自分で絵を描き、幼年時代を語った本は何?
A.「たけしくん、ハイ!」
第9回
Q.奇跡の人「ヘレン・ケラー」の家庭教師は誰?
A.サリバン
第10回
Q.17世紀にインド・ムガール帝国の皇帝シャー・ジャハーンがお妃の死をいたんで建てたお墓は何?
A.タージマハル
第11回
Q.今年の春、筑波大学を総代で卒業。卒業証書と一緒に特別表彰もうけた「女三四郎」といえば誰?
A.山口 香(やまぐちかおり)
第12回
Q.自由民権の闘士・川上音二郎が日の丸の扇をかかげて歌ったのは何?
A.オッペケペー節
第13回
Q.男性が女性をあれこれ批評し合うことを、「源氏物語」の一節をとって何という?
A.雨夜の品定め(あまよのしなさだめ)
第14回
Q.ミュージカル「オズの魔法使い」で、ライオンが欲しいと願っていたものは何?
A.勇気
第15回
Q.サイコロの目を全部たすと21。では、全部かけるといくつになる?
A.720
第16回
Q.晩年の夏目漱石が好んだ言葉「自我を捨てて、自然にゆだねて生きる」という意味の四文字熟語は何?
A.則天去私(そくてんきょし)
今世紀最後
勝負が決まった問題(清水さんへの5問目、清水さんが誤答)
Q.毒薬より危険なものを劇薬という?
A.×(バツ。劇薬より毒薬の方が危険。)
小川さんが2問目の正解をあげたときの問題(小川さんへの4問目、事実上のウイニングアンサー)
Q.(不明)←ここだけはどうしても見つかりませんでした。
A.○(まる)
形式:○×クイズの成績を、「サッカーのPK勝負」の要領で争った(両者に対し、交互に5問出題。両者の成績が同じだった場合はサドンデス)。先攻の清水耕司さんが1問正解、後攻の小川圭太さんが2問正解という状態で迎えた5問目を、清水さんが不正解したため、小川さんの優勝となった。
引用元:アメリカ横断ウルトラクイズの第一回から放送終了までのウイニングアンサーを… – Yahoo!知恵袋 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314211208

『アメリカ横断ウルトラクイズ』(アメリカおうだんウルトラクイズ)は、日本テレビで全17回開催・放送された視聴者参加型のクイズ番組。略称は「ウルトラクイズ」あるいは「ウルトラ」。
英語表記は”TRANS AMERICA ULTRA QUIZ”である。なお、タイトルロゴには”TRANS AM ULTRA QUIZ”と表記された。
1977年(昭和52年)、『木曜スペシャル』枠で日本テレビ開局25年記念番組として放送された。翌年からレギュラー化し、年に1回制作、毎年10月下旬から12月上旬頃に放送された。番組名は『史上最大!第○回 アメリカ横断ウルトラクイズ』(第1回は回数表記なし)。1992年(平成4年)の第16回を最後に終了となったが、1998年(平成10年)日本テレビ開局45年記念番組『ネッツトヨタスペシャル 今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』(以下「“今世紀最後”」と記す)として一度限りの復活を果たした。
>番組の特徴[編集]
本番組の影響を受けた番組も多数生まれた(番組がもたらした影響を参照)。しかし、大人数を日本国外に集めてクイズを行う形式を踏襲した例はごく少ない。他局は真似しようにも、どうしても出国手続だけで1日費やしてしまい、できなかったのである。そのノウハウとは「成田(第1回のみ羽田)空港行きが決まった人の全てのチケット取得と出国手続きをジャンケン前に完全に済ませておき、ジャンケンに負けた人の分をその場でキャンセルする」という手法であったという(近畿日本ツーリストのウルトラクイズ担当談)。
>独自の演出[編集]
タイトルは「クイズ」であっても、単にクイズの優勝者「クイズ王」を決めるためだけの番組ではなく、普通の人々が突然アメリカなどの広大な自然や冒険・難局に直面したときの表情、挑戦者同士の触れ合いなど、人間ドラマを色濃く描かれた演出が特徴的であった。番組の主眼は挑戦者の人間模様、クイズに敗れた敗者にあり、「クイズ形式の人間ドキュメンタリー」というコンセプトがあった。
番組で共に旅したのを機に、挑戦者同士がその後も何らかの形で交流を続けるようになったケースも多く、挑戦者同士が結婚したケースもある。
引用元:アメリカ横断ウルトラクイズ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%A8%AA%E6%96%AD%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA

第2回(1978年)[編集]
『史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』が予想を上回る好評を得たことにより、年1回のレギュラー化が決まった。準決勝のクイズ形式がボストンの地元紙アクトン・ミニットマンに掲載されるなど、アメリカでも話題になった。
今大会より、第一次予選が後楽園球場のグラウンドで行われるようになった。また、第1問に初めて自由の女神関連問題が出題された。成田空港の開港により、第二次予選会場は羽田から成田へと移された。本土上陸後のルートは、前大会がアメリカ合衆国南部を経由するルートであったのに対し、今大会ではアメリカ北部を経由するルートとなった。
クイズにバリエーションを出し始めるものの、その後の本番組の原型になるようなものはまだそれほどなかった。今大会より「機内クイズ」の判定機、通称「ブーブーゲート」が初登場している。決勝戦では、日本にいる挑戦者の親族(成田のジャンケンの会場で待機)と国際電話を用いた音声のみの衛星中継を行った。
この回より×は「バツ」と呼ばれるようになる。また、成田→グァム間を移動する際に使用する航空会社がパン・アメリカン航空からコンチネンタル・ミクロネシア航空に変更された。

第3回(1979年)[編集]
番組テーマ曲が今大会から「スタートレックのテーマ」となり、番組内で使われる他の楽曲の多くも今大会から使用された。早押しテーブルなどの機材も今大会のものが基本になっているものが多い。勝ち抜き時の『○○行き決定!』スーパーもこの大会から登場した。
体力系のクイズが行われ始め、バラマキクイズやダイビングクイズ(ドボンクイズ)など、その後の番組の代名詞になるようなクイズが初登場し、クイズ形式の基礎が確立された。ルートは第1回よりも更に南側のコースとなり、ロサンゼルスとフロリダ半島に初上陸した。また、機内トップの挑戦者が途中で敗退、途中で女性が全滅、全編を通じて敗者復活戦が行われなかったのは、いずれも今大会が初めてである。

第4回(1980年)[編集]
視聴率は歴代2位を記録。成田での敗者復活戦が今大会から始まり、ジャンケンに負けた人にも国外脱出のチャンスが与えられるようになった。また、どろんこクイズが初登場、更に通せんぼクイズの前身・通過クイズが登場し、各クイズ形式にも一ひねりを入れ始めた。ルートでも横断の要素に加え縦断の要素が強い回となる。
準決勝では全大会で唯一、プエルトリコ自治連邦区に上陸した。そのプエルトリコに駒を進めたのは、4名とも女性でグァムから勝ち抜いて以降、誰一人脱落しなかった(うち1名は、歴代唯一の夫婦そろってアメリカ本土上陸を果たした夫婦の妻だった)。歴代で唯一、男性が途中で全滅する[8]とともに、女性がクイズ王となった大会であり、決勝戦は初めてクイズ番組未経験者同士の対決となった。
この回から第1問は自由の女神関連問題で定着するようになった[9]。

第5回(1981年)[編集]
第1問が球場前で発表されるようになった。アメリカ以外の国であるメキシコに上陸した初めての回である。大会5周年を記念して近畿日本ツーリストがメキシコ国内3つのCPを進呈したため前期ウルトラクイズの中では最もチェックポイントの多い大会となった。以後、第6回を除き、第7回以降アメリカ以外の国へ上陸することが定着した。勝ち抜き時の『○○行き決定!』のゴシック体のスーパーが初登場、第6回では使用されなかったが第7回以降定着する。空席待ちクイズ、奇襲クイズ、通せんぼクイズが初登場。一方、罰ゲームはますます厳しくなり、「72歳の老婆と強制的に結婚」(ラスベガス)、「闘牛」(メキシコシティー)、「イグアナのフルコース料理を食べる」(テオティワカン)、「スカイダイビング」(フェニックス)などが登場、その厳しさに批判的な意見が新聞(読売新聞など)の投書欄に出るようになった。 また、司会者の一次予選開始のフレーズ「みんな!ニューヨークへ行きたいかーっ!!」も初登場した。
準決勝地ノックスビルで行われた「通せんぼクイズ」は前期ウルトラクイズで最も激しい戦いが繰り広げられ、第13回・準決勝の激戦が行われるまでは大会最大の名勝負と位置付けられていた。 後にウルトラクイズの総集編特別番組「ウルトラクイズ・史上最大の傑作選」(1986年6月19日放送)の中で、歴代名勝負として紹介されている。

第7回(1983年)[編集]
福留が「歴代ベスト」と評した大会。参加者が1万人を突破し[33]、視聴率も歴代で最高を記録した。敗退後も「あの岩瀬の仲間の」と福留の言葉に登場したほど名前を記憶されていた岩瀬明彦(No.7、レイクパウエルで敗退)をはじめ、番組のムード盛り上げに貢献した挑戦者が複数存在し、多くが終盤、最終週まで勝ち残った。今大会からサポートアナウンサーが同行するようになり、第8回までは石川牧子が担当した。綱引きクイズとダブルチャンスクイズが初登場。ルートはアメリカ合衆国本土への上陸の前と途中(ナイアガラの滝)でカナダを経由、番組では初めてカナダへ上陸した(正確には、第2回でナイアガラの滝を訪れているので、カナダ経由は2回目である)。スタジオの電飾ルートのセット形式(CPからCPの丸みのあるフォルム)がこの回より定着する。 全大会で唯一、大陸上陸後に急病による脱落者[34]が発生した。また、前年末に開催された『史上最大の敗者復活戦』の優勝者がシード権によりグァム空港から参加したが、合流クイズで機内最下位同点の挑戦者に敗れ敗退した。

第8回(1984年)[編集]
初めて全都道府県から参加者が集まった。今大会から第一次予選での敗者復活戦が行われるようになった。予選の段階での優勝賞品発表が唯一行われた大会でもある。大学生のクイズ研究会の進出が、今大会から本格的に始まった。社会人・主婦は最終週まで二人が勝ち残っていたが、主婦はキーウエスト、社会人はバハマで準決勝進出者の一人[40]に敗れて散っている。 大声クイズとジョギング(マラソン)クイズ初登場[41]。準々決勝ではバハマに上陸し、「クイズ史上初」[42]と銘打たれ、当時の最新鋭の技術を駆使した海底クイズが実施された。パンナムビルで決勝戦を行った最後の大会である。

第9回(1985年)[編集]
自由の女神の修復工事が今大会と重なり、当時のパリ市長ジャック・シラクの招致で今大会はパリが決勝地になり、ニューヨークは北米大陸最後のチェックポイント[52]となっていた。それに伴い第1問もパリのランドマークであるエッフェル塔関連の問題が出題された。
それまで例年第二次まで行われた予選は、「敗者の味方」徳光の提案により第二次予選が全員通過。全員第1CPに行けると思われたところで、突如として第三次予選が出現し、結局は例年通りジャンケンで第1CP進出が決まった。
アメリカ横断後、大西洋を越え、ヨーロッパのイギリス、フランスに上陸。チェックポイントの数も増加し、1人が通過するチェックポイント数は17と歴代最多。これまで以上にスケールの大きい大会となった。団体戦クイズが初登場。

第10回(1986年)[編集]
10周年[61]記念大会となった今大会は、途中アトランタから1本のルートが北米コースと南米コースに分岐され、それぞれのチャンピオンがニューヨークで合流するという初の試みが取り入れられた。総移動距離5万キロは第12回に次いで2番目、総チェックポイント数18は歴代大会で最も多い(1人が通過するチェックポイントは15で歴代3位)。
福留が担当する北米ルートは通称「天国組ルート」と呼ばれ、遊園地や豪華客船上などでクイズが行われた。チェックポイントはアメリカ合衆国のみだが、クイズの無い日にはバハマも訪れている。一方、同行アナウンサーの日高直人が担当する南米ルートは通称「地獄組ルート」と呼ばれ、ボリビアとブラジルに上陸し、ボリビアでは標高4000mで酸素が薄いという過酷な環境下でクイズが行われた。

第11回(1987年)[編集]
成田へ行く前に埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)の久伊豆神社(正式な読み方は「ひさいず神社」だが番組中では「クイズ神社」と呼ばれていた)で第二次予選を、また敗者復活戦を名古屋近郊(愛知県小牧市)でそれぞれ行い、今大会も成田からの飛行機を勝者機と敗者機との2機を用意し、勝者機はそのままグァムに直行して機内で400問ペーパークイズを実施したが、敗者機の方では単なる敗者復活と銘打たず、名古屋縦断ミニトラクイズと称するなど、日本国内からグァムに至るまでの行程において一工夫が施された。敗者復活戦には第二次予選での敗者も参加した。

第12回(1988年)[編集]
高島と石川のコンビによるスタジオパートとコンピュータ敗者予想(同年の担当はこのコーナー唯一の女子アナ担当者ともなった永井美奈子)最後の回。
参加資格年齢の上限が45歳から50歳に引き上げられ、第一次予選が初めて東京ドームにて行われた。敗者の味方が徳光から渡辺正行へと交代し、徳光は初めて一般挑戦者として出場した(第一問で敗退)。また、第1回クイズ王の松尾も5年ぶりの出場となったが、敗退した。

第13回(1989年)[編集]
第1回から続いたスタジオパートが廃止され、代わりに人工衛星による撮影画像を用いたCGのルート紹介、スタッフや挑戦者による敗者予想など新たな趣向が試みられた。
第1問と敗者復活者が、第一次予選当日の読売新聞紙上で発表された[104]。今大会より、グァムのブーブーゲートでの効果音がブザー音声から電子音声(クイズ不正解時の効果音と同じもの)に変更になり、またグァムの泥んこクイズでは、問題が書かれた番号札(挑戦者は残っている番号札から任意のものを選ぶ)が廃止になり、挑戦者はあらかじめ用意された問題に答える方式に変更になった。ルート前半ではオーストラリアとニュージーランドに上陸し、後半でアメリカ本土を横断。シドニーではMr.マリックがゲストとして出演し、敗者復活戦も行った。

第14回(1990年)[編集]
レギュラー放送で福留が全編担当をした最後の大会。日本テレビがタイアップしていた映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』に因み、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がテーマとなっていた。
第1問が第一次予選当日、早朝のテレビ番組で発表された。グァムでは台風の影響で○×どろんこクイズができないという事態が発生。その後はフランス領ポリネシアのタヒチに上陸。アメリカ本土西海岸のポートランド上陸後は、準決勝・東海岸のキティホークまで全てチャーターバスのみで移動し、日本人があまり訪れない秘境でのクイズも行われた。
引用元:アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%A8%AA%E6%96%AD%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%81%AE%E5%90%84%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E8%A9%B3%E7%B4%B0

“今世紀最後”(第17回・1998年)[編集]
日本テレビ開局45周年記念番組として、6年ぶりで1度限りの復活。「Mr.ウルトラクイズ」として福留が再登板し、”敗者の味方”も徳光が担当した。復活したスタジオ司会は伊東四朗と松本明子が務め、ルート紹介はCGで行われたが、決勝地は生中継で決勝が行われる直前まで明らかにされなかった。
>第二次予選でのピカイチ技・ポン食い予選の導入、機内400問3択ペーパークイズの廃止と、それまでの伝統を一新した内容を取り入れた。
>決勝戦は西インド諸島のサン・サルバドル島で泥んこクイズを行い、その模様を衛星生中継で放送した。
>クイズ王 : 小川圭太(新潟県出身・No.93・21歳)
立命館大学の学生で、RUQS所属(後に17代目会長に就任したことにより立命館クイズ研出身・所属の優勝者は全員歴代会長に就任したことになる)。クイズには立命館クイズ研の法被を着て臨むことが多かった。グァムの奇襲クイズで遅刻し最後に合流するというミスがあったが、シルバートン以降を全て上位で通過。デュランゴでは清水とペアを組んでいた。ピカイチ技は「南京玉すだれ」であったが一次審査で不合格、優勝した際に改めて披露した。
引用元:アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%A8%AA%E6%96%AD%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%81%AE%E5%90%84%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E8%A9%B3%E7%B4%B0