サウスダコタ州「ラシュモア山」ワシントン・ジェファーソン・ルーズベルト・リンカーン 「ガットスン・ボーグラム」

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次のラシュモア山に刻まれた
歴代アメリカ大統領の顔のうち
トマス・ジェファーソンは
どれ?
(画像出題)
左から2番めの顔
「左からワシントン、ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、リンカーン」

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アメリカの歴代大統領の顔が
刻まれたこの山は◯◯◯◯◯山?
ルトアバラ
エモシュー
ラシュモア(答)
「ラシュモア山」

ラシュモア山国立記念公園(ラシュモアさんこくりつきねんこうえん、The Mount Rushmore National Memorial Park)は、サウスダコタ州キーストーンに所在し、アメリカ合衆国の成立、発展、開発を記念する建造物である。同公園の面積は1,278エーカー(5.17km2)である。1925年3月3日に国定記念建造物に指定された。
>政府から委託されたガットスン・ボーグラムは400人の作業員とともに、標高1745メートルのラシュモア山の白い花崗岩の露頭に、1927年から1941年10月31日まで14年間をかけて、60フィート (18m) にも及ぶ巨大な胸像を彫った。彫られているのは、アメリカ合衆国建国から150年間の歴史に名を残す4人の大統領(ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルトとエイブラハム・リンカーン)である。ラシュモア山の岩盤は非常に硬質で、彫刻作業は困難を極め、ダイナマイトで砕きながらの作業となった。硬質な岩盤が選ばれた理由は、アメリカの象徴ともいえるこのモニュメントが長期にわたって風化しないようにという配慮からである。
引用元: ラシュモア山 – Wikipedia.

ラシュモア山の誕生を目の当たりにした世代にとっては、ラシュモア山は第一次世界大戦で大勝利を収めた後の米国の楽観主義を象徴するものです。 1950年代と60年代の世代にとっては、ラシュモア山は自動車での家族旅行の象徴となりました。 あらゆる世代のアメリカンインディアンにとっては、破棄された条約や敗北・喪失を意味する複雑な象徴となっています。
>米国はボーグラムの偉業(本人の死後、息子のリンカーンによって完成された)を称賛しましたが、この作品は、パハサパ(ブラックヒルズ)を民族発祥の聖地とするサウスダコタのラコタ族にとっては大変な侮辱でした。 1868年の条約により、 土地の証書は「永代的」にスー族の手に渡りましたが、 その所有権が続いたのはわずか6年でした。 この地域に金鉱が発見されると、米国政府が土地の返還を要求したのです。 1876年に米国政府がすべてのラコタ族に保留地への移住を命じると、クレイジー・ホース、シッティング・ブル、ゴールなどの偉大な酋長が、最終的にリトルビッグホーン でジョージ・カスター中佐率いる第7騎兵隊を全滅させた抵抗軍を結成しました。 しかしスー族の勝利は長くは続きませんでした。2年もしないうちにクレイジー・ホースが死に、スー族の運命は封印されました。
>1939年、大統領の彫像が花崗岩から浮かび上がってきた頃、スー族はボストン出身の彫刻家、コルチャック・ジオルコウスキーを招待して、ラシュモアの南西27kmのブラックヒルズの別の山にクレイジー・ホースの彫像を作り、自分たちの記念碑を建設し始めました。 記念碑建設は、1947年、ジオルコウスキーの壮大な構想に基づいて着工しました。 クレイジー・ホースの像は、山頂の片側に彫刻されているラシュモアの彫像とは異なり、馬にまたがり、指を差している丸彫りの像として完成する予定です。 この記念碑は、高さ170m、長さ195mと巨大で、ラシュモアも小さく見えてしまう大きさになる予定です。 (腕一本分だけでもフットボール競技場よりも長いのです。)
引用元: ラシュモア山に関する情報 | 観光パンフレット | ディスカバーアメリカ.