Göbekli Tepe【Turkish for “Potbelly Hill”】

2018年7月にユネスコの文化遺産
となった、世界最古の建造物と
いわれる巨大なT字型の石柱から
なるトルコにある神殿の遺跡は?
ョペ・リギベクテ
ギョベクリ・テペ(答)
8%

Göbekli Tepe
Located in the Germuş mountains of south-eastern Anatolia, this property presents monumental round-oval and rectangular megalithic structures erected by hunter-gatherers in the Pre-Pottery Neolithic age between 9,600 and 8,200 BCE. These monuments were probably used in connection with rituals, most likely of a funerary nature. Distinctive T-shaped pillars are carved with images of wild animals, providing insight into the way of life and beliefs of people living in Upper Mesopotamia about 11,500 years ago.
引用元:Göbekli Tepe – UNESCO World Heritage Centre https://whc.unesco.org/en/list/1572/

ギョベクリ・テペ(トルコ語: Göbekli Tepe[1]) は、アナトリア南東部、シャンルウルファ(前ウルファ、エデッサ)の郊外(北東12km)の丘の上に在る新石器時代の遺跡。遺丘の高さは15メートル、直径はおよそ300メートルに及ぶ[2]。地名は「太鼓腹の丘」の意[3]。標高はおよそ760メートル。ドイツの考古学チームにより発掘調査が行われた。発掘は1996年から始まり、チームの指揮を執ったクラウス・シュミット(英語版)が他界する2014年まで続いた。

ギョベクリ・テペの遺丘に残された構造物は非常に古く、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられた。祭祀に用いられたと考えられるこれらの構造物には2段階の発達が見られる。第一段階(先土器新石器A(英語版))では巨大な丁字型の石柱がいくつも円を描くように並べられている。物理探査(リモートセンシング)により石柱の総数は200本以上、それらの描き出す円が20確認されている。各石柱は6メートル以上、重さは20トン。それらが基盤岩に穿たれた穴にはめ込まれている[4]。第二段階(先土器新石器B(英語版))では石柱は小さくなり、磨かれた石灰の床を持つ長方形の部屋に立てられた。遺丘の隣に位置し発掘調査が待たれている構造物は1万4000年から1万5000年前のものであることがトポグラフィック・スキャン[訳語疑問点]によって明らかにされた。これはともすれば更新世を1000年遡行することになる[5]。先土器新石器B期が終わると遺跡は打ち捨てられた。比較的新しい構造物にはギリシャ・ローマ時代のものも見られる。

この構造物が何に使われていたのかははっきりしていない。発掘に携わったクラウス・シュミットは初期新石器時代の神殿だと信じていた。

人類史上の意義[編集]
発掘が全体の5パーセントも進んでいないため、この遺跡に関するいかなる叙述も暫定的なものとして捉えるべきである。そもそもシュミットは、考古学調査技術の発展も見越してほとんどを手付かずのまま次世代にゆだねるつもりでいた[7]。遺跡は先土器新石器A(英語版)に属しているというのが公式見解であるが、今のところ栽培植物や家畜の痕跡は見つかっていない。そのためこの地の人々は狩猟採集社会を形作って、しかし1年のうちのいずれかの期間はどこかの村に暮らしていた、と仮定されている[28]。ごくわずかであるが、住宅地として使われていた痕跡も見つかっている。放射性炭素年代測定は、上で述べたように、第三層の一番若い部分は紀元前9000年頃に埋められている可能性があると示している。しかしこの積み重なった遺跡は紀元前1万1000年までには、あるいはもっと早くから神殿としての機能を持っていたのだと考えられている。
引用元:ギョベクリ・テペ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%9A

ピラミッドよりも古い!世界最古の神殿「ギョベクリ・テペ」の謎(トルコ)

文・写真/横溝絢子(海外書き人クラブ/トルコ在住ライター)
世界最古の神殿
トルコの南東部は、文明発展の源となったチグリス川とユーフラテス川に挟まれた小アジア(アナトリア)の南東に位置する、豊かな歴史と文化遺産に恵まれた場所。
古代のアッシリアやローマ、ペルシャなどさまざまな帝国や文明、民族が行き交った。
その歴史は新石器時代の紀元前7,000年頃にも遡る。
紀元前2,000~1,500年にフルリ人、紀元前1,200年頃にはヒッタイト人がこの地を支配した。

1983年、このトルコ南東部のシャンルウルファ県郊外にある山頂からギョベクリ・テペ(太鼓腹の丘の意)が発見される。
1995年よりシャンルウルファ博物館とベルリン・ドイツ考古学研究所による共同の発掘作業が開始され、全容が明らかになった。

ギョベクリ・テペは、エジプトより約7,000年も古い、1万1,600年前に作られたと考えられる世界最古宗教施設であることが分かる。

2007年以降、ドイツ人学者クラウス・シュミットをリーダーとして発掘作業が進められ、地磁気調査では、直径8メートルから30メートルの円形をした礼拝所が20箇所発見された。
発掘の結果、巨大なT字形の石柱を円形状に建ち並べ、大きな円の中に小さな円があるといった綿密に設計された遺跡であることが分かった。T字型は人間の形のように見ることができ、そして胴体部分にはキツネ、ライオン、イノシシ、蛇、鳥など、様々な動物が刻まれている。

T字形の石柱の中には、大きなもので高さ5m、推定重量が10tにもなり、石の切出しや運搬を含め、多くの人出が必要だったと推測される。

農耕より先に宗教が誕生か
この遺跡の謎は、これだけ大掛かりな遺跡にも関わらず、遺跡周辺には水場がなく、作業員の住居、農耕の跡もなく、人が生活した痕跡がまるで残されていなかった。

これまで文明の誕生は、まず農耕が始まり、後に組織的な宗教が生まれたというのが定説であるが、ギョベクリ・テペの発見はこの通説を覆すものとなる。

すなわち、考古学の常識であった「人間が狩猟や採集生活から定住して農耕を始め、大きな社会を形成するにつれ生じるようになった集団内部の争いを抑え、共同体としての共通した象徴を信じるために宗教が生まれた」という従来の説の見直しが迫られることとなる。
引用元:ピラミッドよりも古い!世界最古の神殿「ギョベクリ・テペ」の謎(トルコ) – 記事詳細|Infoseekニュース https://news.infoseek.co.jp/article/serai_362036/

トルコの人気世界遺産
ギョベクリテペ遺跡 (文化遺産:2018年)

世界最古の歴史を覆したギョベクリテペ!トルコ観光に欠かせない世界遺産の魅力とは?
世界最古の遺跡と噂されていた「ギョベクリテペ遺跡」は、2018年に世界遺産に登録され、トルコ全域で歓喜の声が上がりました。そんな「ギョベクリテペ遺跡」には、どのような魅力があるのでしょうか。世界最古の「ギョベクリテペ遺跡」の魅力について、詳しい内容を紹介していくので、参考にしてみてください。

ギョベクリテペはトルコの南東部のシャンルウルファの丘の上に位置し、掘調査は1960年代にアメリカのシカゴ大学チームとトルコチームで発掘を始めていました。でも、その場所は長い間耕作地として使われていて、耕作に邪魔な石などは運び出されたり、破壊されたりして、遺跡としての姿はありませんでした。
その後ドイツの考古学チームが発掘を続けている最中にある農夫が畑を耕しているときに、大きな石が見つかり、どけるために石を掘っていくと石柱であることがわかり、本格的な発掘調査に入りました。掘り続けると巨大なT字型の石柱が見つかりました。また付近に大規模な遺跡群がある事も判明しました。

地球上で最古の高度な文明であるといわれ、最古の文明といわれていたメソポタミア文明よりも7千年も古い文明の遺跡であることが判明しました。一番古いものは今から1万2000年前のものでに建造された物として認められています。エジプトのピラミッドでさえも7,000年前の建造物であることから、かなり昔に建造された物であることがわかるでしょう。
その後埋められたり、新しい建物が作られたりを繰り返し、最終的には紀元前8000年頃には埋められたままで放棄されていることがわかりました。石柱や石壁には動物が多く掘られています。これは狩りの成功を祈ったものと考えられます。このことから今はこの地は荒地ですが、当時は動物も多く生存する緑豊かな土地であったとも思われます。

ギョベクリテペは神殿遺跡の説が強いですが、これだけの神殿を作るには長い歳月がかかり、ふつうは周りにはこの神殿に携わった者が生活する住居などがあるはずですが、まだここには住居跡が見つかっていません。農耕が始まる前、文明が始まる前にすでに宗教が存在していた!?これまでの定説を覆しています。
引用元:ギョベクリテペ・ギョベクリテペ遺跡|トルコ 世界遺産旅行 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』 https://turkish.jp/spot/%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%9A-%E6%96%87%E5%8C%96%E9%81%BA%E7%94%A3%EF%BC%9A2018%E5%B9%B4/

トルコ考古学この 10 年
三宅 裕
The Last Ten Years in Turkish Archaeology
Yutaka MIYAKE

これまで新石器時代のアナトリアは、ともするとレヴァント回廊やユーフラテス中流域の周縁として位置付けられ、チャヨニュ(Çayönü)遺跡の存在は古くから知られていたものの、新石器化をめぐる議論の中でアナトリアの遺跡が正面から取り上げられることはあまりなかった。しかし、そうした状況にもネヴァル・チョリ(Nevalı Çori)遺跡やハラン・チェミ(Hallan Çemi)遺跡の調査を契機として変化の兆しが見えるようになり、それに続くギョベックリ・テペ(Göbekli Tepe)遺跡での発見によってアナトリアへの注目度は一気に高まることとなった。
ギョベックリ・テペ遺跡は、まずその立地からして特異なものである。標高約 800m の山地の頂上部に位置し、周囲の眺望は素晴らしいものの、水源や耕作地などから遠く、日常生活を送るには不便な場所にある。さらに、そうした場所で特殊な建物ばかりまとまって検出されたことから(図 2)、ギョベックリ・テペは一般の集落遺跡ではなく、祭祀センター的な性格をもつ遺跡だったのではないかと考えられるようになった(Schmidt 2001, 2006)。先土器新石器時代に属す 2 つの層が確認され、下層は PPNA(先土器新石器時代 A)期末から PPNB 期初頭に、上層はPPNB 期前期に位置付けられている。下層からは、発掘者がエンクロージャーと呼ぶ円形の大型遺構が 4 基検出されている4)。その構造は、中央に 2 対の T 字形の石柱が独立して立ち、周囲を囲むように円形の壁が巡るというもので、その壁にも T 字形石柱が埋め込まれるような形で配されている。この石柱には、浅い浮彫り状に様々な動物や「記号」が刻まれている(図3)。上層になると建物の規模は縮小し、プランも矩形へと変化している。こちらにも T字形石柱は認められるが、建物全体と同様に小型化し、浮彫りが認められる例も少なくなる。
T 字形石柱には腕や衣服の襟のような表現が認められる例があることから、基本的に人間、ないしは人の姿をした何らかの存在(神や精霊など)を象ったものと考えられている。これに関連して注目されるのが、1980 年代にウルファ市内から発見されていたほぼ等身大の男性彫像である5)(Hauptmann 2003)。腕の位置やその様子、襟とみられるV 字形の意匠など、T 字形石柱との共通点が認められるからである(図4)。両手を男性器に添えていることから、この像が男性を表現したものであることは間違いなく、両者の共通点を重視するならば、T 字形石柱も男性像であったと考えることができる。ギョベックリ・テペ遺跡からは小型の彫像も多数出土しており、その中には男性器を強調した人物像は認められるものの、女性像は一例も検出されていない6)。また、石柱に刻まれた動物像も、性別を特定できるものはすべて雄であった。人間も動物も圧倒的に男性原理が優越しており、これまでの新石器時代=地母神(女神)とするステレオタイプ的な図式とは相容れないものとなっている。こうした状況を受けて、先土器新石器時代に信仰の対象となっていたのは、女神ではなく男神であったという主張もみられるようになった(Özdo©an 2001)。
引用元:JWAA_09_2008_003-009.pdf http://jswaa.org/jswaa/JWAA_09_2008_003-009.pdf