【隈板内閣】

1989年に内閣総理大臣となり
日本初の政党内閣を組閣した
政治家は誰?
犬養毅

原敬
大隈重信(答)
西園寺公望
42%

次の歴代総理大臣を
組閣回数の多いほうから
順に選びなさい
吉田茂
伊藤博文
佐藤栄作
田中角栄
福田赳夫


次の「三角大福」と呼ばれた
内閣を組閣が古い順に
選びなさい
(画像選択肢)
D田中角栄
A三木武夫
B福田赳夫
C大平正芳
引用元:角三福大 | 【QMA復習】 https://seethefun.net/%e7%a4%be%e4%bc%9a/38037/

政党内閣
せいとうないかく
party cabinet

政党を基礎として組織される内閣。総理大臣以下ほとんどの閣僚が議会、とくに下院(衆議院)における多数派政党の所属員によって占められる内閣である。基礎となる政党が単一の場合は単独内閣、複数の場合は連立内閣とよばれる。今日の議会政治は政党を中心に行われるため、議院内閣制をとる国(イギリス、日本など)では、内閣は必然的に政党内閣となる。議会に対する信任は、その議会に多数を占める政党の支持にほかならないからである。政党内閣の長所としては、第一に、一定の政党が選挙において公約した政策を実行することによって政治的責任を果たし(政治責任の明確さ)、国民は自己の選んだ政党(員)に投票することによって希望する政党の内閣を成立せしめうる点(民主性)、第二に、内閣が議会に多数を占める政党を基礎としているため、その政策の立法化・実施において円滑である点があげられる。
 日本における政党内閣は、1898年(明治31)に成立した第一次大隈(おおくま)内閣(いわゆる隈板(わいはん)内閣)が最初のものである。その後、大正期後半から昭和初期にかけて政党内閣が続いたが、この時期の政党内閣はいずれも陸・海両相を政党員から選ばず、外相も多くは官僚から任命し、その意味で完全な政党内閣とはいえなかった。明治憲法下での政党内閣は五・一五事件(1932)で姿を消したが、第二次世界大戦後、政党政治が復活し、議院内閣制をとる日本国憲法が制定されたため、今日ではすべての内閣が政党内閣となっている。[小松 進]
引用元:政党内閣(せいとうないかく)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%94%BF%E5%85%9A%E5%86%85%E9%96%A3-86293

政党内閣【せいとうないかく】

議会で多数を占めた政党または諸政党を基礎に成立した内閣。議院内閣制における内閣は,実質的に政党内閣である。日本では帝国議会開設以来,内閣は藩閥官僚の手中にあり(藩閥政治),超然内閣といわれた。最初の政党内閣は1898年の第1次大隈(おおくま)重信内閣。本格的な政党内閣は憲政擁護運動(第1次)の後1918年成立の原敬(たかし)内閣。加藤高明内閣から犬養毅内閣まで,衆議院の多数党が内閣を組織することが慣例となったが,五・一五事件以後,第2次大戦後まで政党内閣は出現しなかった。
引用元:政党内閣(せいとうないかく)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%94%BF%E5%85%9A%E5%86%85%E9%96%A3-86293

第1次大隈内閣(だいいちじ おおくまないかく)は、伯爵の大隈重信が第8代内閣総理大臣に任命され、1898年(明治31年)6月30日から1898年(明治31年)11月8日まで続いた日本の内閣である。

与党となった憲政党のうち、旧進歩党系の大隈を首相に、旧自由党系の板垣退助を特に内務大臣に迎えて組織したため、大隈の「隈」と板垣の「板」をとって隈板内閣(わいはんないかく)ともいう。日本史上初の政党内閣である[1]。
引用元:第1次大隈内閣 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E6%AC%A1%E5%A4%A7%E9%9A%88%E5%86%85%E9%96%A3