【ユーラシア大陸最南端】タンジュン・ピアイ【アフリカ大陸最西端】ベルデ岬【最南端】アガラス岬

ユーラシア大陸最西端の
この岬はどこ?
ノールカップ岬

ロカ岬(答)
ベルデ岬
アガラス岬
54%

ロカ岬(Cabo da Roca)は、ポルトガル共和国リスボン都市圏にあるユーラシア大陸最西端の岬である。位置、北緯38度47分、西経9度30分。西には大西洋が広がり、その遥か先にはポルトガル領のアゾレス諸島がある。世界遺産として有名な観光都市シントラやカスカイスから、バスが出ており、リスボンからの日帰り観光も可能である。

ここには、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩『ウズ・ルジアダス』第3詩20節の一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar começa)」を刻んだ石碑が立っている。また、有料だがユーラシア大陸最西端到達証明書がある。5ユーロと10ユーロのタイプの証明書があるが、どちらにしても証明書には名前・日付などが入り、裏面には主要国の言葉で書かれた上記の詩(日本語もある)が書かれたものを入手することが出来る。

1703年5月22日、スペイン継承戦争でフランス海軍とオランダ海軍が近くの海で激突、フランスが勝利を収めた(ロカ岬の海戦)。

関連項目[編集]
タンジュン・ピアイ – マレーシア・マレー半島にあるユーラシア大陸の最南端の岬。
チェリュスキン岬 – ロシア・タイミル半島にあるユーラシア大陸の最北端の岬。
デジニョフ岬 – ロシア・チュクチ半島にあるユーラシア大陸最東端の岬。
引用元:ロカ岬 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%AB%E5%B2%AC

ノールカップ(Nordkapplatået)は、ノルウェー北部のマーゲロイ島にある岬である。ノールカップ基礎自治体が、この岬を管轄している。

概要[編集]
高さ307 mの断崖で、位置は北緯71度10分21秒、東経25度47分40秒で、北極点からは2,102.3 kmである。ノールカップは大西洋の一部であるノルウェー海と北極海の一部であるバレンツ海との境界にあたる。

よくヨーロッパ最北の地とされるが、マーゲロイ島最北の場所はノールカップより約1.5 km北のクニフシェロッデン(w:Knivskjellodden)である。また、島を含めないヨーロッパ本土の最北の地点は、北緯71度8分2秒のKinnaroddenである。

この岬は、1533年イギリスの探検家リチャード・チャンセラー(英語版)が、北東航路を探しているときに、North Capeと命名された。ノルウェー語のNordkappはこれを訳したものであり、日本でも意訳して北岬と呼ばれることがある。その後、多くの探検家たちが、ノールカップの断崖を登った。1943年にはこの岬の沖の北極海で北岬沖海戦が戦われた。

この岬に通じる道路が開通したのは1956年であった。今日では、ノールカップは観光地として知られている。
引用元:ノールカップ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97

ヴェルデ岬/カーボヴェルデ諸島
アフリカ大陸最西端の岬。1445年、エンリケ航海王子の時にポルトガルの船団が到達。現在はセネガルに属す。

 ポルトガルのエンリケ航海王子は1420年代から、盛んに海洋に進出、マディラ島、アゾレス諸島などを発見して入植を開始、さらにアフリカ西海岸沿いに南下して黄金や奴隷の獲得を目指した。当時の常識では、ボジャドール岬以南の海は未知の海で、船乗りにとって恐怖の海域であったが、エンリケは老練な船長ジル・エアンネスにその回航を命じ、一度失敗したが1434年に初めてその地点を越えた。ポルトガルの船団は、1435年にさらに南のガーネット湾に達し、翌年はさらに南の地点で上陸してアフリカ人と接触した。その後、リオ・デ・オロの地を過ぎ、ブランコ岬に達した。1441年にはエンリケの派遣した艦隊はリオ・デ・オロで上陸、初めてアフリカ人を捉え、奴隷として本国に連れ帰った。こうしてポルトガル人による黒人奴隷貿易が開始され、1448年には西アフリカ海岸における最初のヨーロッパ人の居留地としてアルギム要塞が建設された。この間、1445年にディニス・ディアスの率いる艦隊は、一気にセネガル川を越え、緑したたる海角に“緑の岬”と言う意味でヴェルデ岬と名づけた。その岬がアフリカ大陸の最西端であった。彼は現在のダカールの海岸にあるコレー島に着き、その地点を過ぎると海岸は東の方に伸びていることを知り、ポルトガル人にイドリーシーその他のアラビア人学者によって《富の国》と伝えられたギニアに達した。
 その後、この地にはフランスが進出し、1895年にフランス領セネガルとなる。アフリカの年と言われた1960年に内陸のマリとの連合国家「マリ連邦」として独立した。しかしすぐに分離の動きが表面化し、同年8月、改めてセネガル共和国として独立した。
引用元:ヴェルデ岬 https://www.y-history.net/appendix/wh0901-010_3.html

カーボベルデ共和国(カーボベルデきょうわこく)、通称カーボベルデは、大西洋の中央、北西アフリカの西沖合いのマカロネシアに位置するバルラヴェント諸島とソタヴェント諸島からなる共和制の国家。首都のプライアはサンティアゴ島に位置している。

カーボベルデは島国であり、15世紀から1975年までポルトガル領であった。独立に際してアフリカ大陸部のギニアビサウと連邦を形成する計画があったが、1980年に同国で発生したクーデターによって頓挫し、現在に至っている。かつてはポルトガルの重要な植民地であったが、史跡としてはフランシス・ドレークによって破壊された町シダーデ・ヴェーリャが残っている。ポルトガル語諸国共同体、ポルトガル語公用語アフリカ諸国の加盟国。
引用元:カーボベルデ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%87

アガラス岬/アグラス岬(ポルトガル語: Cabo das Agulhas、アフリカーンス語: Kaap Agulhas、英語: Cape Agulhas)は、南アフリカ共和国西ケープ州にある岬。アフリカ大陸の最南端に位置する。

概要[編集]
インド洋と大西洋を分ける地点である。ただ、西方にある喜望峰が有名で、そちらがアフリカ大陸最南端と誤解される。
引用元:アガラス岬 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%B9%E5%B2%AC