【扇城】中津城

黒田孝高が築城
別名は「扇城」
大分県にあった城
日本三大水城の一つ
府内城
飫肥城
中津城(答)
人吉城
85%

中津城(なかつじょう)/中津川城(なかつがわ(の)じょう)[1]は、豊前国中津(現在の大分県中津市二ノ丁)にあった日本の城。黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。県指定史跡。江戸時代の大半は、奥平氏が居城としていた(中津藩も参照)。

構造
周防灘(豊前海)に臨む中津川(山国川の派川)河口の地に築城された梯郭式の平城である。堀には海水が引き込まれているため、水城(海城)ともされ、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられる。本丸を中心として、北に二の丸、南に三ノ丸があり、全体ではほぼ直角三角形をなしていたため扇形に例えて「扇城(せんじょう)」とも呼ばれていた。櫓の棟数は22基、門は8棟。総構には、6箇所の虎口が開けられた。

中津城は、冬至の日には、朝日は宇佐神宮の方角から上り、夕日は英彦山の方角に落ちる場所に築城されている。また、吉富町にある八幡古表神社と薦神社とを結ぶ直線上に位置する。鬼門である北東には、闇無浜神社(くらなしはま)がある。
引用元:中津城 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E5%9F%8E

なかつじょう【中津城】

大分県中津市二の丁にあった梯郭式の水城。今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられる。周防灘(すおうなだ)に臨む山国川河口の地に築城され、堀には海水が引き込まれている。本丸を中心として、北に二の丸、南に三の丸があり、全体がほぼ直角三角形の扇形をした縄張りであった。1587年(天正15)、豊臣秀吉の名軍師・黒田如水(じょすい)が古城、犬丸城を修築したもので、1620年(元和7)に細川忠興(ただおき)が入封。1877年(明治10)の西南戦争で残っていた建物が消失し、現在は模擬天守と櫓(やぐら)がある。福沢諭吉旧居と並び、城下町中津を代表する観光名所となっている。JR日豊本線中津駅下車、徒歩15分。◇扇城(せんじょう)とも呼ばれる。
引用元:中津城(なかつじょう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E5%9F%8E-180173

中世に山の頂に築かれた山城のうち、岩村城(岐阜県恵那市)、高取城(奈良県高取町)、備中松山城(岡山県高梁市)の3城が「日本三大山城」。対して海を掘りに取り入れ、物資の輸送に舟運を利用した水城のうち、高松城(香川県高松市)、今治城(愛媛県今治市)、中津城(大分県中津市)の3城が「日本三大水城」です。
引用元:日本三大山城 VS 日本三大水城 | ニッポン旅マガジン https://tabi-mag.jp/castle/