青島幸男、宮田輝、扇千景、西川きよし

次のタレント議員を
国会議員に初当選したのが
古い順に選びなさい
青島幸男 1968
宮田輝 1974
扇千景 1977
西川きよし 1986
23%

タレント政治家(タレントせいじか)は、タレントであること、あるいはかつてタレントであったことによる大衆的な人気や知名度を活用して政治家になった人物のことである。国会議員などの場合には、タレント議員とも言う。

1946年、戦後初の衆議院議員総選挙、第22回衆議院議員総選挙に大選挙区の東京1区から立候補して当選した吉本興業(東京吉本)所属の演歌師・石田一松が、一般的にはタレント議員第一号と言われている[2]。ただ石田当選時には芸能人等を指して「タレント」と表現する用法はまだ存在しておらず、石田は在職中「タレント議員」と呼ばれることはなく、専ら「芸能人代議士」と形容された。この年の選挙には作家の石川達三と元横綱男女ノ川登三(立候補時は本名の坂田供次郎)が立候補しているが、いずれも落選している。男女ノ川の伝記を書いた川端要壽は、「今の選挙なら、男女ノ川や石川ほどの知名度があればまず当選していただろう。時代が悪かったともいえるし、国民が真面目だったともいえる」と書いている[3]。
引用元:タレント政治家 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6

青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17日 – 2006年〈平成18年〉12月20日)は、日本の作家、作詞家、タレント、俳優、放送作家、映画監督、政治家。

参議院議員(5期)、第二院クラブ代表(初代・第5代)、東京都知事(第13代)などを歴任した。

政治の道へ
1968年、第8回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し2位で初当選。なお、1位は石原慎太郎、3位は上田哲であり、タレント議員のパイオニア的存在となる。なお、テレビ司会者としても、1968年から11年間に渡る『お昼のワイドショー』、高見知佳との名コンビで広く親しまれた『追跡』などの司会者などとして引き続き芸能界でも活躍した。

後に無所属議員による院内会派第二院クラブに所属。「参議院議員は内閣に関与すべきではない」との立場から、首班指名は必ず棄権していた。

ある日、佐藤栄作が「自分は参院選の応援のために日本全国を回った」と得意気に話すので、「自分はテレビでの知名度があって当選できた。選挙の立候補者も放送を通じて政見を述べればよい」と答える。そして青島の提案により、政見放送が実施された。
引用元:青島幸男 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B3%B6%E5%B9%B8%E7%94%B7

宮田 輝(みやた てる、1921年12月25日 – 1990年7月15日)は、日本のアナウンサー、参議院議員(3期)。本名、宮田 輝(みやた あきら)。

東京都足立区出身。血液型B型。明治大学卒業。1942年にNHKに入局。NHKにおいて、高橋圭三や青木一雄らと同じく、「芸能番組向けアナウンサー」の先鞭を付けた人物の一人に数えられる。1974年にNHKを退職後は参議院議員(3期)を務めながらフリーアナウンサーとしても活躍。1990年7月15日、参議院議員在職中のまま死去。

1974年にNHKを退職。同年の参議院選挙に自民党から立候補しトップ当選を果たす。

1978年、第1次大平内閣で農林水産政務次官に就任。
引用元:宮田輝 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E7%94%B0%E8%BC%9D

扇 千景(おおぎ ちかげ、1933年〈昭和8年〉5月10日 – )は、日本の女優(元宝塚歌劇団娘役)、政治家。靖国神社崇敬奉賛会会長(第3代)。本名、林 寛子(はやし ひろこ)。旧姓、木村(きむら)。兵庫県神戸市出身。

位階・称号は旭日大綬章、桐花大綬章(女性初)、大韓民国修交勲章光化章、台湾一等景星勲章、フランス共和国ボージョレーワイン委員会・フランス食品振興会認定コンパニヨン・デュ・ボージョレー騎士。

参議院議員(5期)、科学技術政務次官(鈴木善幸改造内閣)、保守党党首(初代)、運輸大臣(第78代)、建設大臣(第69代)、北海道開発庁長官(第72代)、国土庁長官(第36代)、国土交通大臣(初代・第2代)、参議院議長(第26代・女性として初)などを歴任した。

夫である4代目坂田藤十郎(本名:林宏太郎)との間に、歌舞伎役者の長男・4代目中村鴈治郎(本名:林智太郎)、次男・3代目中村扇雀(本名:林浩太郎)がいる。夫の妹は女優の中村玉緒である。

参議院議員
自由民主党総裁福田赳夫や幹事長大平正芳らの要請を受け、1977年7月、第11回参議院議員通常選挙に自由民主党公認候補として全国区から立候補し初当選する。当時はタレント候補の一人と評された。自民党内では当初、福田率いる清和会に属した。1989年の第15回参議院議員通常選挙では次点で落選したが、1993年に山岡賢次が第40回衆議院議員総選挙出馬に伴い自動失職したため繰上当選。
引用元:扇千景 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%87%E5%8D%83%E6%99%AF

西川 きよし(にしかわ きよし、1946年7月2日 – )は、日本のお笑いタレント、司会者・元参議院議員・シーランド公国のロードの称号を持つ[2]。本名、西川 潔(読み同じ)。

高知県高知市朝倉生まれ。大阪市港区・住吉区育ち。吉本興業所属。5人姉弟の長男(姉3人、弟1人)。

妻は同い年のタレント・西川ヘレン。愛妻家で知られており、子供は俳優の西川忠志(長男)、タレントの西川かの子(長女)であり、西川弘志(次男)は、元俳優である。また、孫もいる。

1986年、「中学校を出た人間が、高校しか出てない人間が、一生懸命やったらどのぐらいのことができるか、どれぐらいのことしかできないか、やってみたいです。」と参議院議員選挙に大阪選挙区から無所属で立候補し当選。義母の介護経験から福祉関連に力を入れ、3期18年間に渡る議員生活を展開してきた。参議院会派第二院クラブに所属し、福祉関係の充実を政策の中心とし政治姿勢は全体的に保守系与党寄りであった。1994年6月の参議院本会議の首班指名投票では村山富市と海部俊樹に票が分散するなか、当時、衆議院議長であった土井たか子に唯一の票を投じ、1999年7月の参院本会議の国旗国歌法の採決では賛成票を投じた。議員生活を通して政党に所属することはなく会派としての第二院クラブ消滅後は無所属の会、国会改革連絡会に所属。2003年には国会等移転特別委員長に就任した。

2004年1月、同年7月の参議院選挙に立候補をせず、政界から身を引きタレントとしての活動に専念しつつ、福祉関係の仕事に従事すると発表した。
引用元:西川きよし – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B7%9D%E3%81%8D%E3%82%88%E3%81%97