【ラムネ工場】消火設備を転用


戦艦大和の艦内には
ラムネの工場があった
◯(答)
83%

ラムネは、日本で広く愛飲される清涼飲料水である。名称はlemonade(レモネード)の転訛が由来。アルコールを含まない無色透明の炭酸飲料としては、日本ではサイダーの呼称が使われることが多いが、ラムネは一般に(無色透明であるかに関わらず)「玉詰びんに詰められた炭酸飲料」[1]を指す(容器については後述)。

概要
水に砂糖やブドウ糖果糖溶液といった糖類を加え、酸味料や香料(フレーバー)を用いてライムやレモンの香りをつけた甘い炭酸飲料で、特定メーカーのブランド商品ではなく、一般名詞的に複数のメーカーから発売されている。清涼な風味のほか、独特の形状をしたガラス瓶の清涼感もあいまって、夏の風物詩として長く親しまれてきた。旧日本海軍の艦艇においては、消火設備として設置された炭酸ガス発生装置をラムネ製造器に転用し、乗組員の嗜好品として供給した事も相まって、戦前から広く庶民に親しまれた。

ラムネという名称は、イギリスからもたらされたレモネードが転訛したもの。独特な瓶の意匠もこのとき同時に持ち込まれたもので、明治初期に神戸旧居留地のシム商会が日本で初めて製造と販売を行なった。明治5年5月4日(1872年6月9日)には日本人に初めてラムネ製造の許可が下り、のちに5月4日は「ラムネの日」となった。1995年には日本ラムネ協会が設立された。

法律
ラムネはびん詰めコーヒー飲料、豆腐等と同様、中小企業の事業活動の機会の確保のための大企業者の事業活動の調整に関する法律(中小企業分野調整法)に基づき中小企業に独占的に生産されており、大企業は製造に参入できない。
引用元:ラムネ (清涼飲料) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%8D_(%E6%B8%85%E6%B6%BC%E9%A3%B2%E6%96%99)

アイスクリームも食べられた
「世界最大・最強」と謳われ、各国に日本の造艦技術の高さを知らしめた戦艦大和。全長263mの巨大戦艦を象徴するのは、甲板に装備された46センチ口径の三連装主砲である。

そんな大和だが、艦内のこだわりにも抜かりがなかった。

まず、艦内は冷暖房が完備。ほとんどの兵に、ハンモックではなくベッドが用意され、昼夜を快適に過ごすことができた。昼ごはんはスープに始まりサラダ、肉か魚料理に食後の珈琲までつくフルコース。停泊中は釣りを楽しんだり、映画の上映会があったりと、戦艦とは思えない充実ぶり。当時の兵士は「大和ホテル」と呼んでいたほどである。

1942年、日本軍はガダルカナル島で激しい攻防戦を繰り広げていた。そのころ、大和は委任統治領となっていたトラック諸島に停泊。船員は上陸し、安全な地区で猟や買い物を楽しんだ。ガダルカナル島の激戦をよそに、大和の船員はまるで「保養地」にいるかのような生活をしていたのだ。

これだけの贅沢な設備に加えて、さらに驚くべきなのは、ラムネの製造機があったこと。各分隊の兵が、交代で製造を補助していたのだ。言わずもがな、戦時中甘いものは貴重品だ。それでも、暑く塩辛い風が吹く南方を長旅する船員に、甘みと清涼感が強いラムネは大人気。船内で販売されるやバカ売れした。

ラムネに加えて、大和ではアイスクリームも作られていたという。実は、大和には冷凍室があり、これを有効活用してアイスクリームを作っていたのだ。

南方戦線に向かう戦艦のなかには、大和と同様にラムネやアイスクリームを作ることができる設備を備えていたものがほかにもあった。このことに喜んだのは、日本の戦艦を接収した米国海軍である。米軍は「アイスクリーム戦艦」を作るほどのアイス好き。日本から接収した機材でアイスを製造したのだった。

1945年、わずか2時間の戦闘であえなく撃沈されてしまった大和は、皮肉にもそうはならなかったのだが。(嶋)
引用元:「戦艦大和」の中で贅沢三昧!? 艦内ではフルコースあり、買物付き!(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52526

食事
 帝国海軍はイギリスの伝統を受け継いでいるため、艦内は完全な階級社会でした。
 信じられないことに、幹部の士官は月1回は洋食のフルコースを楽しんでいたそうです。
 上等水兵は1回の食事で1合のご飯(1日3合)。肉じゃがやカレーライスも普通に食べられました。ちなみに海軍ではけっこう英語を使うので、カレーライスはそのままカレーライスと言います(陸軍は『香辛料色付き汁かけ飯』と呼んでいました)。このほか、たくわん、福神漬け、昆布、佃煮などもありました。
 一方、下っ端は食事もまともには食べられませんでした。1944年6月のマリアナ海戦前後などは特にひどく、1日にパパイヤの漬け物と馬の小便みたいな醤油汁、それに大麦の一膳飯だけ。呉を出港するときには大量の缶詰、酒、嗜好品を積んでいましたが、下っ端の前に出てくることは決してありませんでした。もちろん艦内の売店でも下っ端は何も買えませんでした。

戦艦大和の勇姿
1941年10月30日

●水
 当然ながら、食料以上に貴重なのが水。上官はいくらでも飲めたそうですが、下っ端は飲み水も厳しかったようです。やむなく、露天の甲板で夜露を集めて飲むこともありました。

 意外に知られていませんが、艦の中央片隅にラムネ製造所がありました。ラムネ作りを手伝うときだけはガブ飲みできたそうです。できたラムネは50本ケースに仕分けられ、『各分隊、ラムネ受け取れ』という命令で分配されました。

●風呂
 入浴の回数も階級によって決まっていました。下士官以上は毎日、水兵長は週4回、上等水兵は週3回、一等水兵は週2回。

 入浴時は入口で10円玉くらいの入浴券3枚と紙1枚を受け取ります。紙には陰部を消毒するための消毒液を浸けてもらいます。風呂場には2つの浴槽があり、手前に海水の湯が、奥に真水の湯が張ってありました。
 入浴券1枚で洗面器1杯の水がもらえるので、洗面器3杯の水で全身を洗うことになります。ずいぶんと少なく思えますが、海軍では新兵教育から水を大切にするよう教えられるので、これだけでも十分なんだそうです。
引用元:戦艦大和の日常生活 https://tanken.com/yamato.html