ジャワ島


第1回アジア・アフリカ会議が
開催されたインドネシアの都市・
バンドンがある島は
ジャワ島である
◯(答)
×スマトラ島
54%

アジア=アフリカ会議/バンドン会議/AA会議
第二次世界大戦後に独立したアジア・アフリカの諸国代表が、1955年、バンドンで開催した国際会議。米ソ二大国主導の東西冷戦下で、第三世界の結集を目指し、平和十原則を共同宣言として発表した。

アジア・アフリカ諸国

 アジア・アフリカ世界は、ヨーロッパ列強およびアメリカ合衆国、あるいはアジアの中でいち早く資本主義化した日本など、帝国主義政策をとった諸国によって植民地、あるいは半植民地として支配されていた。アジア地域はインドに代表されるように第二次世界大戦直後に一斉に独立を達成した。アフリカでは第二次世界大戦直後から独立運動が本格化し、1960年の「アフリカの年」をピークに多くの国がを遂げた。ラテンアメリカ地域の諸国はほとんどが19世紀の中頃に独立を達成していたが、多くは外国資本と結託した独裁政権の支配に置かれていた。この地域でも50年代末から60年代にかけて民族運動が高揚する。これらの新興勢力は、冷戦下の世界における「第三世界」といわれ、国際政治に重要な位置を占めることとなる。特に、インドのネルー、中国の周恩来、エジプトのナセル、インドネシアのスカルノ、アフリカではエンクルマなどがその卓越した指導者として国際政治にも発言力を増した。
 1954年には非同盟主義を唱えるネルーの呼びかけによって南アジアの5ヵ国がコロンボ会議を開催、翌55年にアジア・アフリカの新興国を招集して、インドネシアのバンドンでアジア=アフリカ会議を開催することを提唱した。

アジア・アフリカ会議の開催

 1955年4月、インドネシアのジャワ島、バンドンで開催されので、バンドン会議とも言う。略称はAA会議。議長を務めたインドネシアのスカルノ大統領は、この会議を「世界人口の約半数の13億(当時)を占める有色人種の代表による、世界最初の国際会議」と述べた。第三世界の存在を世界に示した会議であり、4月18日から24日まで開催され、29ヵ国(そのうち23ヵ国がアジア)が参加した。日本もオブザーバーとして参加した。
引用元:アジア=アフリカ会議/バンドン会議/AA会議 https://www.y-history.net/appendix/wh1603-005.html

バンドン(バンドゥン、インドネシア語: Kota Bandung)は、インドネシアのジャワ島西部にある都市(市)である。西ジャワ州の州都であり、また、インドネシアでジャワ人に次いで人口の多い種族であるスンダ人が生活し、スンダ語が話される「スンダ地方」の中心地である。

植民地時代に政治・経済・文化の中心地の1つとして発展し、また快適に過ごせる住環境でもあったことから「ジャワのパリ(Paris Van Java)」と呼ばれ、多くの外国人(オランダ人・中国人・日本人など)が居住していた。現在は人口集中、過剰開発、そして車の排気ガスや廃棄物などで環境が悪化しつつある。
引用元:バンドン – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3