【星無し】スーダン


次のうち、スーダン共和国の
国旗はどっち?
A南スーダン
B(答)


5 内政
 バシール准将(当時)は1989年,クーデタにより政権を獲得し,1993年10月に大統領に就任。以来,政権を維持。2005年1月の包括的和平合意(CPA)により南北内戦が終結した後,同合意に基づいた国民統一政府が発足し,バシール大統領が統一政府大統領に就任。同年7月には暫定国家憲法が批准された。

 暫定憲法に基づき実施された2010年4月の総選挙(24年ぶりの複数政党参加による総選挙)では,バシール大統領が再選。

 2014年1月,バシール大統領は,国内和解等を目的として「国民対話メカニズム」を開始したが,反政府勢力や強硬派野党との協議が進捗しないまま,2015年4月に総選挙が実施され,バシール大統領が再選。国民対話は同年10月から1年間実施された後,2016年10月に国民文書を採択。同文書に基づき,首相職が創設され,2017年3月にサーレハ第一副大統領が首相に就任,国民文書に署名した野党も加わる形で新内閣が発足。

 国内では,西部のダルフール地方で2003年頃から,南部2州(南コルドファン州・青ナイル州)では2011年から紛争が続いてきたが,現在は,政府側とほとんどの反政府勢力がそれぞれ一方的敵対行為停止を継続中であり,現地の治安は改善傾向。これを踏まえ,現地の国連・AU合同ミッション(UNAMID)が活動を縮小しつつある。
引用元:スーダン基礎データ | 外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/sudan/data.html#section1


6 内政
 2011年7月9日,スーダンから分離・独立。新生国家としての体裁づくりに着手。しかしながら,国造りで目に見えた成果が見られる前に,与党スーダン人民解放運動(SPLM)内の派閥抗争(キール大統領派対マシャール前副大統領派)が激化。
 2013年12月,首都ジュバにおいて,大統領警護隊同士の衝突が発生。ジュバの治安はすぐに回復したが,その後各地で衝突が続き,多くの難民が発生した。
 2015年8月,政府間開発機構(IGAD)及び関係諸国等による仲介により,「南スーダンにおける衝突の解決に関する合意文書(衝突解決合意)」が,関係当事者によって署名された。合意文書署名を受けて,合同監視評価委員会(JMEC)が立ち上がり,2016年4月にマシャール元副大統領が第一副大統領に就任,国民統一暫定政府が設立された。
 しかしながら,同年7月,ジュバ市内でキール大統領派とマシャール第一副大統領派(反主流派)が衝突。ジュバの治安はすぐに回復したが,その後各地で衝突が続き,さらに多くの難民が発生した。キール大統領は,ジュバ衝突後にジュバから逃避したマシャール第一副大統領を解任し,新たに反主流派代表となったタバン・デン鉱山大臣を第一副大統領に任命した。
 2017年5月,キール大統領は,国内の平和と安定を促進するため,国民対話の開始と一方的敵対行為停止を宣言(その後,国民対話運営委員会が各地で対話を継続。)。また,同年6月,IGADは,衝突解決合意の再活性化を図るため,ハイレベル再活性化フォーラム(HLRF)の開催を発表。12月にHLRF第1回会合が開催され,南スーダン関係者が敵対行為停止等に合意。2018年2月には,HLRF第2回会合が開催され,南スーダン関係者が衝突解決合意の修正案に一部合意。
引用元:南スーダン基礎データ | 外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_sudan/data.html#section1