チャールズ・「パース」


プラグマティズムの創始者で
あるアメリカの哲学者は
チャールズ・◯◯◯?
◯を答えなさい
パース(答)
29%

チャールズ・サンダース・パース[1](英: Charles Sanders Peirce、1839年9月10日 – 1914年4月19日)は、アメリカ合衆国の哲学者、論理学者、数学者、科学者であり、プラグマティズムの創始者として知られる。マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。パースは化学者としての教育を受け、米国沿岸測量局に約三十年間、科学者として雇われていた。「アメリカ合衆国の哲学者たちの中で最も独創的かつ多才であり、そしてアメリカのもっとも偉大な論理学者」ともいわれる[2]。存命中はおおむね無視されつづけ、第二次世界大戦後まで二次文献はわずかしかなかった。莫大な遺稿の全ては今も公表されていない。パースは自分をまず論理学者とみなし、さらに論理学を記号論(semiotics)の一分野とみなした。
引用元:チャールズ・サンダース・パース – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9

プラグマティズム
pragmatism

1870年代の初めアメリカの C.パースらを中心とする研究者グループによって展開された哲学的思想とその運動。ギリシア語のプラグマから発し,プラグマティズムとは,行動を人生の中心にすえ,思考,観念,信念は行動を指導すると同時に,逆に行動を通じて改造されるものであるとする。そして行動の最も洗練された典型的な形態を科学の実験に求め,その論理を哲学的諸問題の解決に応用しようとするもの。代表的哲学者は,パースをはじめ W.ジェームズ,J.デューイ。彼らの理論は,明治の頃日本に紹介されたが,特に第2次世界大戦後デューイの教育理論は,教育思想に大きな影響を与えた。

引用元:プラグマティズムとは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0-126067

「儲け第一主義」ではない
そんな時代に現れたドイツ人哲学者ニーチェの「神は死んだ」は、象徴的な言葉だ。唯一の真理を探究する従来の哲学を、真っ向から批判している。

それと同時期に、アメリカではチャールズ・パースが初めて、プラグマティズムを発表する。

「パースは、『概念』が実際にどのような効果を生み出すのかを問えば『真理』の意味がわかる、と提唱しました。たとえば、『硬い』という概念は何かを抽象的に考えていたのが従来の哲学だとすると、パースは『硬いというのは、何かにぶつけても壊れないということ』というように、どのような効果が生み出されるかを考えれば、概念の意味が明晰になると説明したのです」

米国プラグマティズムと日本的思考の違い

こうしてパースが生み出したプラグマティズムだが、本人の知名度が低かったため、すぐにはこの思想は広がらなかった。ようやくアメリカ国内で知られるようになったのは、それから10~20年後。パースの個人的な研究会に顔を出していたウィリアム・ジェームズが大きな役割を果たす。

「ジェームズはハーバード大学の教授で、世界的にも有名な学者でした。アメリカ各地で講演をするときに、パースのプラグマティズムを紹介して回ります。さらに、ジェームズの教え子たちを通して思想は受け継がれ、20世紀前半のアメリカの社会・政治・文化に影響を与えました」

こうして絶対真理を求めない哲学がアメリカでも知られるところとなるのだが、その後プラグマティズムはあいまいな哲学だと批判され、いったんは廃れる。再び頭を持ち上げてくるのが1950~60年代。

「分析哲学の大物、W・V・O・クワインが、真理とは『うまく説明できること』だと論じました。クワインによってプラグマティズムは再び脚光を浴びることになったのです」
引用元:超大国アメリカを支える思想「プラグマティズム」入門 | プレジデントオンライン http://president.jp/articles/-/20609?page=2