ミンドロ島


大岡昇平の小説『俘虜記』で
舞台となっているフィリピンの
島は「◯◯◯◯島」?
ロソタドミ
ンクアナバ
ミンドロ(答)
36%

ミンドロ島(ミンドロとう、Mindoro)はフィリピンで7番目に大きな島であり、面積は9,735km2。

歴史[編集]
古代中国の商人にはマイ(英語版)(Ma-IまたはMait、摩逸)と呼ばれていた。スペイン人にはミナ・デ・オーロ( Mina de Oro、意味は金鉱)と呼ばれ、これが現在の名前のもとになった。

太平洋戦争中は日本軍が占領していたが、1944年12月15日にアメリカ軍はルソン島奪回の足がかりにミンドロ島へ上陸を敢行、島は戦場と化した。海軍は上陸した米軍に打撃を与えるべく礼号作戦を実施、マンガリン湾に7隻の挺身部隊を突入させ米軍に被害を与え離脱した。これは太平洋戦争における日本軍最後の勝利となったが、戦況に大きな影響はなく、ミンドロ島の日本軍は山岳部に敗走し、飢餓と疫病、地元ゲリラとの戦闘で多くが死亡した。大岡昇平はミンドロ島で捕虜となり後にこの島を舞台とした数々の戦記小説を書いているほか、1956年になってもミンドロ島からは4人の残留日本兵が帰国している。
引用元:ミンドロ島 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E5%B3%B6

俘虜記
大岡昇平/著

著者の太平洋戦争従軍体験に基づく連作小説。冒頭の「捉まるまで」の、なぜ自分は米兵を殺さなかったかという感情の、異常に平静かつ精密な分析と、続編の俘虜収容所を戦後における日本社会の縮図とみた文明批評からなる。乾いた明晰さをもつ文体を用い、孤独という真空状態における人間のエゴティスムを凝視した点で、いわゆる戦争小説とは根本的に異なる作品である。

大岡昇平 オオオカ・ショウヘイ
(1909-1988)東京生れ。京都帝大仏文科卒。帝国酸素、川崎重工業などに勤務。1944(昭和19)年、召集されてフィリピンのミンドロ島に赴くが、翌年米軍の俘虜となり、レイテ島収容所に送られる。1949年、戦場の経験を書いた『俘虜記』で第1回横光利一賞を受け、これが文学的出発となる。小説家としての活動は多岐にわたり、代表作に『武蔵野夫人』『野火』(読売文学賞)『花影』『レイテ戦記』(毎日芸術大賞)などがある。1971年、芸術院会員に選ばれたが辞退。
引用元:大岡昇平 『俘虜記』 | 新潮社 http://www.shinchosha.co.jp/book/106501/

本書は実体験にもとづく捕虜収容所体験記である。その執拗なほど粘着した描写は、きわめて読みにくい。しかし、その読みにくさゆえに、捕虜収容所内での日本兵の堕落を生々しく伝えることに成功している。

 大岡昇平は、本書を書くまで文筆で生計を立てていたわけではないが、批評家の小林秀雄と交友があり、自身も仕事の合間をぬって、フランス作家スタンダールの研究をしていた。

 僕は不勉強にも、スタンダール作品といえば『赤と黒』しか知らないが、その主人公ジュリアン・ソレルを通して、人間のエゴイズムを描き切った作家だと思っている。そんな作家の研究を専門にしているからこそ、捕虜収容所の堕落を描く文章を持つことができたのだ。数多くの兵士の従軍日記にはないリアリズムが、本書にはある。

 

 堕落した捕虜収容所内で、大岡昇平は娯楽小説を書きつづけた。官能小説も書いている。閲覧代としてタバコを要求した。著作権を主張し、その表紙には「禁転載」と記したという。

 画才のある者も似たようなことをした。米兵に応じて日本画を描く元画家もいれば、捕虜仲間に応じて春画(エロ絵)を描く者もいた。

 芸術の才無き者は、賭博に夢中になった。米軍から配給されるタバコを賭けて行われたそれは、イカサマが横行し、舎弟を持つ親分を生んだ。ガサ入れのない賭博の、当然の帰結といえる。

 最大の遊びは盗みだった。米軍倉庫から盗み出したそれを、捕虜たちは自分のベッドの下に大切に保管した。

 敗戦後、帰還する際に、捕虜たちは持物検査を受けることになった。手先の器用な日本兵は、盗品を偽装するのに夢中になったが、ほとんどは持ち帰ることができなかった。米軍側は「日本の罹災民に贈る」と言ったが、日本兵捕虜は信じなかった。

 結果、彼らは焼いたのである。「フィリピン人に払い下げたとしても、フィリピンが潤うわけがないんだから」とせせら笑いながら。

 その火は三日三晩燃え続けたという。

【心に残った場面など】
 

 もっとも心に残った場面は、前述した、米軍倉庫から盗んだ備品を帰還時に燃やしたくだりである。「東アジア解放」という開戦の建前は、とっくの昔に日本兵から忘れられていたのだ。

 

 次点としてあげたいのは、大岡昇平が帰還時に「最後に見たフィリピン人」とかけた会話である。

 

「どうだい。日本人を君はどう思う」

「ある日本人は善く、ある日本人は悪い」

 と四十がらみの混血児らしい運転手はいった。マニラ、バタンガスの残虐を知っている彼等が、こういってくれたのを私は感謝している。

「君達は全部善い」

 と御世辞をいって別れた。

 

 少々できすぎな場面ではあるが、人間のエゴイズムにまみれた『俘虜記』のなかで、とびぬけて美しいシーンであるといっていい。

 

【本書の核心】
 

 米国軍の捕虜に対する寛大な措置に、米国の「博愛精神」を感じた日本兵は多かったらしい。本書でも大岡昇平は「これぞ文明国だ」と感嘆している。

 ただし、米国軍が日本兵捕虜に寛大だったのは、日本兵の人命を尊重したからではない。日本兵捕虜を優遇することで、軍事機密を引き出したり、厭戦気分をもたらすことが、合理的だと判断したからだ。

 大岡昇平が捕縛されたのは、彼がマラリヤで隊に取り残され、銃を持たずに眠っていたからである。もし、彼が通常の兵士のように銃をかかえて眠っていたら、まずは撃ち殺されていただろう。日本兵捕虜は有用だが、そのために米軍兵士を一人でも犠牲にすることは許されないことだった。
引用元:日本兵捕虜はいかに堕落したか? ― 大岡昇平『俘虜記』(評価・S) –  esu-kei_text http://d.hatena.ne.jp/esu-kei/20140515/p1