ドレスデン・エルベ渓谷


建設予定のヴァルトシュロッセン
橋が景観を損なうことから
2009年に世界遺産リストから
抹消されたドイツの景勝地は?
マウルブロン修道院の建造物群
ドレスデンのエルベ渓谷(答)
僧院の島ライヒェナウ
古典主義の都ワイマール
60%

ドレスデン・エルベ渓谷(ドレスデン・エルベけいこく、ドイツ語: Dresdner Elbtal)とは、かつてユネスコの世界遺産に登録されていた物件である。日本では「ドレスデンのエルベ渓谷」とも表記される[1]。「ドレスデンのエルベ川流域」[2]、「ドレスデンとエルベ渓谷」[3]などとするメディアもある。

エルベ川の上流域に当たる、ドイツ東部に形成された渓谷の一つで、なだらかな谷には都市ドレスデンが発達し、市域は川を挟むかたちでおよそ20kmにわたって続く。当地はエルベ川沿いの中央ヨーロッパにおける優れた文化的景観を形成しており、その価値は、渓谷が都市の一部であるとともに自然の河岸の一部であることに見出される。

2004年、世界文化遺産に登録されたが、2009年6月25日、後述するように景観を損ねる橋の建設を理由として、世界遺産リストから削除された。

第32回(2008年)・第33回(2009年)世界遺産委員会の動き[編集]
2008年の第32回委員会でも登録リストからの抹消が検討されたが、市当局からの様々な方策を模索している旨の釈明があったことなどから、建設がすでに始まっていたにもかかわらず、抹消は見送られた[9]。しかし、再び「警告」が出され、橋の建設が中止されないようであれば次の第33回委員会において登録リストから抹消する方針が確認された[10]。

そして、橋の建設中止は見込めないものとして、2009年6月25日、第33回委員会で世界遺産リストからの抹消が決議された[11]。抹消されたのはオマーンの「アラビアオリックスの保護区」(2007年)に次いで2件目だが、「アラビアオリックスの保護区」の事例は救済を図ろうとした委員会の意向を蹴ってオマーン政府が要請した側面を持っていた。これに対し、ドレスデン・エルベ渓谷の事例は委員会の意思として抹消を決議した最初の事例であった[12]。

なお、ヴァルトシュレスヒェン橋は抹消から3年後の2012年に完工し、2013年8月24日に正式開通、8月26日より通行可能となった。
引用元:ドレスデン・エルベ渓谷 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%99%E6%B8%93%E8%B0%B7

UNESCOの世界遺産リストは後世に伝えるべき「顕著な普遍的価値」を持つ文化遺産や自然遺産の一覧であるが、登録理由となった要素が失われたと世界遺産委員会によって判断された資産[注釈 1]などは、リストから抹消されることもある。そのような抹消された世界遺産は2017年の第41回世界遺産委員会終了時点で2件存在している。UNESCOの世界遺産センターが公表している世界遺産リストでは、それらの物件は打ち消し線を引かれた状態で掲載されている。なお、その2件以外にも、過去に抹消の可能性が世界遺産委員会の審議で俎上に載せられた資産は複数存在している。

世界遺産センターが英文で deletion と表現する手続きについて、日本では「抹消」と訳す文献[1]と、「削除」と訳す文献[2]がある。また、抹消された世界遺産について、「元・世界遺産」と表現する文献[3]もある。

アラビアオリックスの保護区[編集]

アラビアオリックス(UAEで撮影された画像)
詳細は「アラビアオリックスの保護区」を参照
アラビアオリックスの保護区はオマーンが1982年に設定した自然保護区であり、1994年に世界遺産リストに登録された。まっすぐ伸びた2本の角を持つウシ科のアラビアオリックスは、ユニコーンのモデルとも言われるが、角を目当てにした乱獲によって、1972年に一度は野生絶滅に追い込まれた[6]。オマーン国王はジダット・アル・ハラシース平原に保護区を設定し、アメリカ動植物保護協会から譲り受けたアラビアオリックスの再導入を試みた[6]。この資産の審議にあたり、世界遺産委員会の諮問機関(自然遺産分野)である国際自然保護連合 (IUCN) は、保護管理面の不備を理由に「登録延期」を勧告したが、委員会でオマーン代表がしかるべき対応をとることを約束したことから登録が認められた[7]。

ところが、オマーン政府は2007年1月に、自然保護区の範囲を27,500km2から2,824 km2へと大幅に縮減した[8]。実に約90 %におよぶ縮減である。この背景には天然ガス・石油などの資源開発優先の意向があった[9]。この縮減は世界遺産委員会に無届けで行われたものであり、IUCNは世界遺産としての顕著な普遍的価値が失われたとして、「抹消」を勧告した[7]。

しかし、オマーン当局が開発優先の意向を堅持したため、抹消と決議された[7]。なお、登録時点で改善を約束した代表者と、抹消時点で開発優先を明示した代表者は同一人物である[7]。これが世界遺産リストから抹消された初の事例である。

ドレスデン・エルベ渓谷[編集]
詳細は「ドレスデン・エルベ渓谷」を参照

ドレスデンの夜景

ヴァルトシュレスヒェン橋と周辺の景観
ドレスデン・エルベ渓谷は、ドイツの世界遺産の一つとして2004年に登録された。18世紀に「エルベ川のフィレンツェ」の異名をとった歴史的な都市ドレスデンとその周辺、ユービガウ城からピルニッツ城までのエルベ川沿岸約18 km が対象であった[11]。ドレスデンには、18世紀にはマイセンで築いた巨富を背景に華々しい建造物群が建てられ、19世紀には工業都市として成長する中でネオ・ルネサンス様式のゼンパー・オーパー(歌劇場)などが建てられた[11]。世界遺産としては、ドレスデンとその周辺に残る歴史的建造物群のみならず、周辺の自然と一帯になった文化的景観としての登録であった[12]。

しかし、ドレスデンには第二次世界大戦以前から大規模な架橋計画が存在していた[13]。その具体的な建設に向けた住民投票が2005年2月に実施され、橋(ヴァルトシュレスヒェン橋(英語版))の建設が決まった[7]。そこで、翌年の第30回世界遺産委員会で危機遺産リストに加えられるとともに、建設が開始されたならば、世界遺産リストからの抹消もありうると決議された[14]。

第32回世界遺産委員会(2008年)の時点で既に工事が始まっていたが、ドレスデン市当局が計画の変更などを模索している旨の報告があり[17]、建設の撤回とすでに着工された部分の復元を条件になおも1年の猶予が与えられることとなった[18]。しかし、ドレスデン州議会が建設の推進を決議し、2008年11月に上部構造の建設が始まると、もはや不可逆の状態に至ったものとして、翌年の第33回世界遺産委員会で抹消が決議された[19]。第32回の時点で着工されていたこともあり、この第33回委員会では抹消やむなしという雰囲気があったという[20]。形式的にオマーン当局による要請という形になったアラビアオリックスの保護区と異なり、世界遺産委員会が主体的に抹消を決議した最初の事例である[19]。
引用元:抹消された世界遺産 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%B9%E6%B6%88%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3