おくだひろし奥田碩


日本経団連の初代会長を
務めた実業家です
奥田碩
おくだひろし(答)
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奥田 碩(おくだ ひろし、1932年12月29日 – )は、日本の実業家。勲等は旭日大綬章。トヨタ自動車社長(第3代、工販分離前から数えると第8代[1])、同社会長(第3代、工販分離前から数えると第7代[1])、日本経営者団体連盟会長(第9代)、日本経済団体連合会(当時)会長(初代)、内閣特別顧問、日本郵政取締役兼指名委員長兼報酬委員長、国際協力銀行総裁、トヨタ財団会長等を歴任。

社長時代[編集]
1995年8月に、28年ぶりに豊田家出身以外で代表取締役社長に就任した[10]。
社長時代にはそれまでどちらかといえば良い意味で保守的だったトヨタを改革したと言われている。例えば、世界に先駆けてハイブリッド車「プリウス」をトップダウンによる判断で発売したことや、東富士研究所に直接訪れ、それまでトヨタが敬遠していたF1への参戦を指示したこと、社長就任直後にダイハツ工業の連結子会社化を断行したり、就任翌年の1996年には常務以上の役員19名のうち17名を総入れ替えしたことなどである[11][12]。1997年には社長直轄組織のVVC(ヴァーチャル・ベンチャー・カンパニー)を設立、稟議書の決裁速度の速さも有名だった[13]。奥田時代、当時国内販売で落ち込んでいたシェアを3年がかりで40%代まで回復させるなど、奥田の時代からトヨタは「攻め」の姿勢に転じて躍進を遂げ、現在の世界第1位の自動車メーカーの座を手にした。このことから、彼の経営手腕は一般的に高く評価されており、ハウツー本が出販されたり他のメーカーの中には彼の改革を手本にする企業まで出てきた。1997年には、米「ビジネスウィーク」誌で、世界最優秀経営者の1人に選出され、イェール大学に講演で招かれるなどした[14]。
引用元:奥田碩 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%94%B0%E7%A2%A9

「碩」の部首・画数・読み方・意味など
部首 石 (いし・いしへん)
画数 14画
音読み セキ
訓読み おお(きい)
意味 大きい。優れている。立派である。充実している。

人名読み・名のり(名前での読み)
おお ひろ みち みつる ゆたか
地名での読み
碩田町(せきでんまち)
引用元:「碩」の部首・画数・読み方・意味など http://kanji.jitenon.jp/kanjif/2631.html