東海道本線、中央本線、東北本線、常磐線、総武本線


次のうち
国鉄の「通勤五方面作戦」で
混雑解消が図られた路線を
全て選びなさい
東海道本線(答)
横須賀線
京葉線
中央本線(答)
東北本線(答)
常磐線(答)
総武本線(答)
37%

「常に本線」常磐線と本線

通勤五方面作戦(つうきんごほうめんさくせん)とは、首都圏における日本国有鉄道(国鉄)の通勤路線(国電)における輸送量増強を目指し、1964年(昭和39年)6月に国鉄の第322回常務会でその大綱が承認されたプロジェクトの総称である。略称は「五方面作戦」。「東京五方面作戦」ともいわれる。

東海道本線・横須賀線[編集]
詳細は「SM分離」を参照
東海道本線(湘南電車)と横須賀線はそれまで東京駅 – 大船駅間で線路を共有して運行されていた。これが双方路線の列車増発の障壁となっていた。
この状況を打破するため、俗に“SM分離”(両路線列車の列車番号の末尾英字の組み合わせから)と呼ばれる対策が取られた。具体的には以下のものである[6]。

中央本線[編集]
本路線のみ、五方面作戦として銘打たれる前の第二次五ヵ年計画時から本格的な工事が着手されている。それは、武蔵野地域は沿海部の埋立地より開発が容易であり、隣接県の田園・丘陵地帯よりはある程度市街化の素地があったからである。このため、高度経済成長初期には最も沿線人口の伸び率が大きかった。中央本線系統では既に完成していた御茶ノ水駅 – 中野駅間の複々線を三鷹駅・立川駅まで延伸する事と、建設が開始されていた営団地下鉄(現・東京地下鉄)東西線へ中野駅から国電が直通する事が計画の基本となった。

東北本線・高崎線[編集]
この系統では東北本線(宇都宮線)・高崎線列車と京浜東北線電車が赤羽駅 – 大宮駅間で線路を共用していたのを分離、貨物線と合わせて3複線化する事とした。また、この分離で線路数が増え列車の運行本数も増加することから同時に川口駅 – 大宮駅間は全ての踏切を撤去して完全立体化された。この工事は「ヨンサントオ」改正の実施に合わせて1968年(昭和43年)10月に完成している。

常磐線[編集]
常磐線では、北千住駅 – 取手駅間(うち北千住 – 綾瀬間は営団が千代田線として建設)を複々線化し、快速電車や中距離電車・特急列車と各駅停車をそれぞれ常磐快速線と常磐緩行線とに分け、常磐緩行線電車は全てが新規に建設される営団地下鉄(現・東京地下鉄)千代田線と相互直通運転する事とされた。

総武本線[編集]
総武本線では錦糸町駅 – 千葉駅間において、快速・特急列車と各駅停車をそれぞれ総武快速線と総武緩行線とに分離する複々線化を行った。また同時に東京駅 – 錦糸町駅間に地下新線を建設して東京駅に乗り入れ、さらに横須賀線列車との相互直通運転の実施を計画した。また前述した地下鉄東西線へも一部緩行線電車が西船橋駅 – 津田沼駅間で相互乗り入れを行う事とした。
引用元:通勤五方面作戦 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%8B%A4%E4%BA%94%E6%96%B9%E9%9D%A2%E4%BD%9C%E6%88%A6