巨椋(おぐら)池



干拓で姿を消した、かつて
京都府の南部に存在した池です
巨椋池
おぐらいけ(答)
55%?

巨椋池(おぐらいけ)は、京都府の南部、現在の京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがる場所にかつて存在した池。規模からいえば池よりも「湖」と呼ぶ方がふさわしく、現在「池」と呼んでいる最大の湖沼である湖山池よりも広かった。
豊臣秀吉による伏見城築城期の築堤をはじめとする土木工事などにより時代によって姿を変え、最終的には1933年(昭和8年)から1941年(昭和16年)にかけて行われた干拓事業によって農地に姿を変えた。干拓前の巨椋池は周囲約16キロメートル、水域面積約8平方キロメートルで、当時京都府で最大の面積を持つ淡水湖であった。
引用元:巨椋池 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E6%A4%8B%E6%B1%A0

「巨椋池」の語源
「おぐらいけ」のごげん

「巨椋池」の名称が、最初に見られるのは『万葉集』の中の「巨椋(おおくら)の入江(いりえ)響(とよ)むなり 射目人(いめびと)の伏見が田井(たい)に雁(かり)渡るらし」という歌です。この歌は、巨椋池がざわめき、伏見の田へと雁が移動していく情景を詠んだものといわれ、「巨椋」という地名が、当時から存在していたことがわかります。
  「くら」という言葉は、古代には谷や低い土地、馬の鞍のように窪んだ所のことを指したという説があり、その説に従うと、「巨椋池」は「大きく窪んだ水たまり」を意味していたと考えられます。この地形の特徴をよく表しています。
 江戸時代には、単に「大池」と呼ばれており、これは、淀川(宇治川)を大川と呼んだことと対応するものと考えられます。
引用元:「巨椋池」の語源-巨椋池のみちくさトリビア http://www.maff.go.jp/kinki/seibi/midori/kanryou/oguraike/trivia/nature01.html