アヤクーチョ


ペルー独立戦争の激戦地と
なったペルーの都市です
アヤクーチョ(答)
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Ayacucho

アヤクーチョ(Ayacucho)は、ペルー南部に位置する都市で、アヤクーチョ県の県都。人口11万8960人。 アンデス山脈のマンタロ川の上流域、標高2731mに位置する。1825年まではワマンガと呼ばれていた。

1825年2月15日、シモン・ボリバールは、街の名前をアヤクーチョに変更した。街の名前は、1824年にこの地で起きたアヤクーチョの戦い(英語版)にちなんで名付けられた。12月9日、La Quinuaのパンパ地帯の付近で衝突は起きた。戦場において数多くの犠牲者を見て、市民はこのエリアをアヤクーチョと呼んでいた。ケチャ語で、”アヤ(aya)”は「死」を”kuchu”は「角(corner)」を意味している。アヤクーチョの戦いは、ペルー独立戦争におけるスペイン軍と愛国軍との間の最後の軍事的衝突であった。愛国軍の勝利が、ペルーおよび南アメリカの独立を確定させた。現在ボリビアの首都になっているラパスも、この戦い後、同じように「ラ・パス・デ・アヤクーチョ」(La Paz de Ayacucho、「アヤクーチョの平和」の意)と一時的に改名された。
引用元:アヤクーチョ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A7

ペルーのアヤクーチョはワリ時代の都でスペインから独立を勝ち取った場所でもあります。標高約2750m。この時期、昼はかなり暑くて夜は少し肌寒かったです。

>Quinua(キヌア)はアヤクーチョから約32Km離れた、標高約3200mの場所にある小さな町です。しかし紀元500年頃にこの地より興ったワリ文化がペルー全域を統治したそうです。その後、インカ帝国、スペインなどに統治されますが、1824年のアヤクーチョの戦いでコロンビア共和国のアントニオ・ホセ・デ・スクレがスペイン政権を倒して事実上のペルー独立を達成しました。
しかし1980年代後半には、アヤクーチョ周辺はゲリラ勢力センデロ・ルミノソの本拠地となってしまい、旅行者が気軽に入れる場所ではなかったのです。治安面でも最悪だったようです。それを打破したのは、南米初の日系人大統領になったフジモリ大統領でした。彼はこの地以外でもゲリラ撲滅や治安回復に大成功しましたが、強引なやり方が批判され辞職に追いやられてしまいました。その後、彼の腐敗政治ぶりがいくつも明らかにされたのは日本人としては残念です。

>さてまずは、Museo de Quinua(キヌア博物館)という小さな博物館へ。別名Casa de la Capitulacion de la Batalla de Ayacucho(アヤクーチョの戦いの降伏の家)。庭には戦いの様子が描かれた壁絵があります。そして屋内には当時の戦いで使われた武器や武具、地図、将軍の絵などが飾ってありました。日本人には馴染みの薄い戦いなのであまりピンとは来なかったけど、ペルー人には関が原の戦いのような名合戦なのかも知れませんね。入館は無料。
次に町を歩きましたが、目に留まるのは家々の屋根に飾られている陶芸の置物です。キヌアは陶芸・焼き物の町としても有名なのです。この置物がなんともかわいい♪。たぶん魔除けのようなものだと思います。
引用元:ワリ遺跡!キヌアのかわいい焼き物!独立記念塔! in アヤクーチョ – 世界一周旅行記 ゆめぽろEarth http://yumepolo.com/blog-entry-708/