角三福大


次の「三角大福」と呼ばれた
内閣を組閣が古い順に
選びなさい
(画像選択肢)
D田中角栄
A三木武夫
B福田赳夫
C大平正芳
29%



1956年に日ソ共同宣言が調印
されたときの日本の総理大臣は
鳩山一郎ですが

1978年に日中平和友好条約が
締結されたときの
日本の総理大臣は?
福田赳夫(答)
佐藤栄作
大平正芳
鳩山一郎
29%


1973(昭和48)年11月25日、第2次田中第1次改造内閣が発足し記念撮影。前列には(左から)中曽根康弘通産、福田赳夫大蔵、田中角栄首相、三木武夫国務、大平正芳外務と「三角大福中」がそろい踏み。小渕恵三総務副長官(最後列左から2人目)もいて、後に首相となった人物5人がそろった。
引用元:<あのころ>三角大福中が勢ぞろい 田中内閣が記念撮影 – 47NEWS(よんななニュース) http://www.47news.jp/PN/201511/PN2015112001001830.html

三角大福(さんかくだいふく)とは、佐藤栄作内閣総理大臣・自由民主党総裁の後継の座を、自民党の実力者である三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫の4人が争ったことから、各人の名前の1文字を取って表した言葉である。中曽根康弘を加えて三角大福中(さんかくだいふくちゅう)と呼ぶこともある。

佐藤退陣後の1972年以降は、三角大福中の5人の派閥領袖が中心となって、日本の政界が動いていくことになった。1972年に自民党総裁選では、中曽根康弘が出馬を取りやめ田中の支持に回ったため、「三角大福」の争いとなったが、最終的に5人全員が総理・総裁の座を射止めたため、「三角大福中」という言葉が用いられることもある。第2次田中角栄内閣の組閣後写真では、この5人が「中・三・角・福・大」の順に最前列で並んでいる。
主な経歴[編集]
党[編集]
三角大福中は、いずれも自民党幹事長を経て総裁になっている。
総裁
田中角栄(第6代総裁、1972年7月5日 – 1974年12月4日)
三木武夫(第7代総裁、1974年12月4日 – 1976年12月23日)
福田赳夫(第8代総裁、1976年12月23日 – 1978年12月1日)
大平正芳(第9代総裁、1978年12月1日 – 1980年6月12日)
中曽根康弘(第11代総裁、1982年11月25日 – 1987年10月31日)
引用元:三角大福 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E5%A4%A7%E7%A6%8F