ビアフラ共和国


1967年にナイジェリアの
イボ族が独立を宣言した国は
◯◯◯◯共和国?
ラビイフボ
ナンダアル
ビアフラ(答)
44%

ビアフラ共和国(ビアフラきょうわこく、英: Biafra、英語発音: [biˈɑːfrə] ビアーフラ)は、1967年にナイジェリアの南東部に置かれていた東部州が独立宣言したことに伴い樹立された、イボ族を主体とした政権・国家。1967年5月30日から1970年1月15日まで存続した。人口1,350万人、面積は77,306km²(1967年)だった。

ナイジェリアからの独立[編集]
1966年に、ナイジェリア軍部によるクーデター未遂が勃発、事態を収拾したナイジェリア軍のイロンシ少将は北部と東部と西部の3州で州ごとに首相を持っていた連邦制を廃止して中央集権化を図るため、地方を12州に分割しようとした。しかし、これがイボ族による支配を図っているとみられたためにイロンシは殺害され、北部や西部に移住していたイボへの虐殺が起こった。この際に権力を握ったゴウォン中佐はイボへの迫害を抑えることなく、連邦制は復活させたが州の細分化を進めようとした。
1967年5月30日、軍事政権に反発するイボ族を中心とした東部州の軍政官であったチュクエメカ・オジュク中佐が独立を宣言し、ビアフラ共和国を建国した。しかしこれを承認した国家は4カ国しかなかった。
引用元:ビアフラ共和国 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%A9%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

ビアフラ戦争(ビアフラせんそう、1967年7月6日 – 1970年1月12日)は、ナイジェリアのイボ族を主体とした東部州がビアフラ共和国として分離・独立を宣言したことにより起こった戦争である。ナイジェリア内戦とも呼ぶ。ビアフラが包囲され食料・物資の供給が遮断されたため、飢餓が国際的な問題となった。

1966年、軍のイボ族主体の中堅将校が、クーデターを起こし、北部系の政治家、高級軍人を殺害したが、同じイボ族出身の軍司令官であるジョンソン・アグイイ=イロンシ将軍に鎮圧された。イロンシ将軍は、臨時政府を作り、イボ族を多く登用した。しかし、臨時政府が連邦制廃止を打ち出した後、北部ではイボ族に対する反発が強まり、数千人のイボ族が殺害され、イロンシ将軍も、ハウサ族の下級将校の襲撃を受けて殺害された。北部出身のゴウォン中佐が軍事政権を握り、イボ族出身の軍人を殺害・追放した。北部におけるイボ族への迫害は一層強くなり、1万を越えるイボ族が殺害され、100万人近い難民が東部州に逃れてきた。東部州の軍政知事だったチュクエメカ・オドゥメグ・オジュク中佐は、州内の連邦資産を接収し、税収を全て東部州で管理することにし、独立性を強めた。これに対し、連邦は東部州の分割を狙ったため、1967年5月30日オジュク中佐は、「ビアフラ共和国」として東部州の独立を宣言した。

1968年に入ると、連邦軍がビアフラを包囲し、食料、物資の供給を遮断したため、ビアフラは飢餓に苦しむことになった。各国の記者がさかんに報道したため、赤十字などの支援は行われたが、早期決着を目指す連邦側が、それらの救援も妨害するようになったため、ビアフラの飢餓は危機的な状況に陥った。
弾薬、装備の不足も深刻になり、1970年1月9日、ついにオジュク将軍はコートジボワールに亡命し、ビアフラは降伏し、そのまま崩壊に向かった。
他のアフリカの内戦の例から見ると、意外にもハウサ族による極端な報復や虐殺は行われず、国民和解の方針が採られた。しかし、少なくとも150万人以上の人間が、飢餓、病気、戦闘によって死亡したとされている。当時、各国の新聞に掲載された「骨と皮にやせ細っているが、お腹だけが異様に膨らんでいる子供達」の姿は世界中に衝撃を与え、ビアフラという言葉は飢餓と同義語として使われるようになった。
引用元:ビアフラ戦争 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%A9%E6%88%A6%E4%BA%89