「ホテルニューグランド」マッカーサー、大佛次郎


レインボーボールルーム
作家・大佛次郎が10年間滞在
マッカーサーの専用室
山下公園の正面に位置する
ホテルニューグランド(答)
犀北館
宝塚ホテル
万平ホテル
58%


創業者は吉田俊男
建物は日本生活協会が建設
多くの文化人に愛用される
神田駿河台にあるホテル
山の上ホテル(答)

連想
創業は1909年
本館は桃山御殿風総槍造り
約1万坪の大庭園
興福寺五重塔などが一望
奈良ホテル(答)

連想
「国内御三家」の一つ
政府登録ホテル第1号
フランク・ロイド・ライト
バイキング料理が誕生
帝国ホテル(答)

連想
「国内御三家」の一つ
建物内部に美術館がある
「トゥールダルジャン東京」
創業者は元・力士
ホテルニューオータニ(答)

連想
ヘボン博士のアドバイスから誕生
「百年ライスカレー」
1873年開業のリゾートホテル
「N35号室」
日光金谷ホテル(答)

連想
1971年に完成
淀橋浄水場の再開発で誕生
住所は東京都新宿区
日本初の超高層ホテル
京王プラザホテル(答)

ホテル ニューグランドは、神奈川県横浜市中区に在するホテル、及びその運営企業である。プリファード・ホテル・グループに加盟し、JR東日本ホテルズ準会員である。

>通称山下公園通りを挟んで山下公園真向かいに位置し、横浜中華街へ通じる横道沿い1区画を占める。横浜における主要なランドマークの一つである。

>開業当時から、皇族、イギリス王族などの賓客や、チャーリー・チャップリン、ジョージ・ハーマン・ルースなど著名人も多数来訪し、ダグラス・マッカーサーは1937年に新婚旅行の帰路、1945年にSCAPとして来日直後、それぞれ滞在している。マッカーサーが当時宿泊していた315号室は、「マッカーサーズスイート」として一般客も宿泊できる。
その独特のクラシカルな雰囲気から、『RAMPO』『ツナグ』等、我が国の映画ロケーションにも多用されている。
引用元:ホテルニューグランド – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

ホテルニューグランドの歴史を語る時どうしても欠かせない人物が二人いる。マッカーサー元帥と、作家大佛次郎である。
開業の18年後、ホテルニューグランドは第2次世界大戦敗戦、米軍進駐という時期を迎える。
1945年8月30日、厚木飛行場に到着、濃いサングラス、ノーネクタイ、コーンパイプをくわえた姿で降り立つ
マッカーサー元帥の姿はあまりに有名である。元帥は、声 明文朗読の後、すぐさま乗用車に乗り込み、
まっすぐホテルニューグランドを目指した。

そもそも進駐軍が最初の滞留地を横浜とした陰には、最高司令官の宿舎 として、戦火を逃れたホテルニューグランドが
ふさわしいとの意見があったから、と伝えられている。マッカーサー元帥専用室に当てられたのは315号室。
横浜港に面した3階にあるこの部屋を、「気に入っ た」と副官に告げていたという。

このあと元帥はわずか3日滞在した後、次の居留地へと移ることになるのだが、実はマッカーサーが
ホテルニューグランドに宿泊したのは、このときが初めてではない。
1937年、フィリピン軍事顧問として当時のケソン大統領訪米に随行、その帰り訪日した際に、
彼にとっては二度目の結婚相手であるジーン婦人との新婚旅行として、ホテルニューグランドに宿をとった記録がある。
その彼が、今度は占領軍の最高司令官として足を踏み入れる ことになったのである。
8年間で横浜は大きく変貌してしまった。そのとき元帥の脳裏に、平和な時期の記憶が蘇っていたかどうかは、定かではない。

>大佛次郎
明治30年横浜に生まれた作家、大佛次郎。彼が昭和6年から約10年間にわたり、
ホテルニューグランドを創作活動の場としていたことはあまりに有名である。
横浜を舞台にした『霧笛』をはじめ『鞍馬天狗』他、
数々の名作をここホテルニューグランドから生み出している。

「…仕事をするにもハマでないと気分がのらず、ホテルニューグランドの一室に閉じ籠って多いに遊んだのもそのころだ。 318号室-それがぼくの部屋だった。ホテルの3階にあって、港が真正面に見えて、展望は良くきくし、実に住み心地のよい場所だった。 とくにボーイの気のきくのがいて、仕事の時は参考の書籍をきちんとそろえて待っていてくれる。 ノコノコ鎌倉の自宅からホテルに入るとすぐ筆がとれるといった 具合だった。…」(著書「横浜今昔」より)

今なお、318号室といえば「鞍馬天狗の部屋」と従業員達に呼ばれ親しまれている。もう窓の眺めも通りの人の姿も変わってしまったかもしれないが、 もしまた彼が318号室に現われたとしても、ハマならではの作品を生み出してくれるにちがいない、そんな雰囲気を保ち続けている。
昭和48年、彼の遺体が東京の病院から鎌倉・雪の下の自宅へ帰る際、
車はホテルニューグランドを経由して、彼が愛した港とイチョウ並木と
ホテルの従業員達に最後の別れを告げていった。
引用元:ヒストリー|ホテルについて|ホテルニューグランド(公式ホームページ) http://www.hotel-newgrand.co.jp/history/


レインボーボールルームの虹色の照明が照らしだす丸みを帯びた天井は、
当時の漆喰職人による最高傑作といわれました。そのほか、現代では成しえない、
ディ テールのあるもの造りの成果を多くみつけることができます。
当会場を訪れた際には、ぜひチェックのほどを。
なお、当宴会場はフェニックスルームとともに「横浜市認定歴史的建造物」に指定されています。
引用元:レインボーボールルーム|ご宴会|ホテルニューグランド(公式ホームページ) http://www.hotel-newgrand.co.jp/rainbow/