初代警視総監(東京)「川路利良」初代警察庁長官(国)「斎藤昇」


1874年に初代警視総監に就任
した人物は川路利良である
◯(答)
66%

◯×
1874年に初代警視総監に
就任した人物は斉藤昇である
×(答)
◯川路利良

◯×
1954年に初代警察庁長官に就任
した人物は斎藤昇である
◯(答)

◯×
1954年に初代警察庁長官に
就任した人物は 川路利良である
×(答)
◯斎藤昇

◯×
警察関係者が用いる隠語で「桜田商事」とは警察庁のことである
×(答)
◯警視庁


引用元:住まいの新たな防犯対策 | 「住まいの管理手帳」フォローアップコーナー | 住宅金融普及協会 https://www.sumai-info.com/book_shop/follow_up17.html

警察のしくみ
国と都道府県の警察組織のあらまし
沿革
 我が国の警察は、明治7年、当時の内務省に警保寮が設置されて以来、第二次世界大戦の終了まで、中央では内務省警保局、地方では知事によって管理運営されていました。
 戦後の昭和22年に警察法が制定され、23年から国家地方警察と市町村自治体警察の二本立ての制度となりました。その後、29年に警察法が全面的に改正され、警察運営の単位が現在の都道府県警察に一元化されました。

2.都道府県の警察組織
 都道府県には、都道府県公安委員会が置かれ、都道府県警察を管理しています。
 都道府県警察には、警察本部(東京都は警視庁)のほか、警察署が置かれています。また、警察署の下部機構として、交番や駐在所があります。
 警視庁には警視総監が、道府県警察には道府県警察本部長が置かれ、警視庁及び道府県警察本部の事務を統括しています。
引用元:警察のしくみ|警察庁 https://www.npa.go.jp/koho1/sikumi.htm

川路 利良(かわじ としよし、天保5年5月11日(1834年6月17日) – 明治12年(1879年)10月13日)は、日本の幕末から明治初期の薩摩藩士、警察官僚、陸軍軍人。階級は大警視、陸軍少将。位階は正五位。勲等は勲二等。
初代大警視(現:警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて構築した「日本警察の父」。西南戦争では陸軍少将を兼任し、警視隊で組織された別働第三旅団を指揮した。
名は当初「としなが」と名乗っていたが、後に「としよし」と改名したようである。通称は正之進。号は竜泉。家紋は六つ丁子車。遠祖は藤原氏といわれる[1]。

>警察制度の確立[編集]
維新後の明治4年(1871年)、西郷の招きで東京府大属となり、同年に権典事、典事に累進。翌年、邏卒総長に就任し、司法省の西欧視察団(8人)の一員として欧州各国の警察を視察する。帰国後、警察制度の改革を建議し、ジョゼフ・フーシェに範をとったフランスの警察制度を参考に日本の警察制度を確立した。
明治7年(1874年)、警視庁創設に伴い満40歳で初代大警視(現:警視総監)に就任。執務終了後ほぼ毎日、自ら東京中の警察署、派出所を巡視して回り、一日の睡眠は4時間に満たなかったという。

>川路が警視庁に在職した期間は決して長いものではなかったが、警察制度創始者としての評価は高い。警察の在り方を示した川路の語録は『警察手眼』(けいさつしゅげん)として編纂され、警察官のバイブルとして現在も広く読み継がれている。
引用元:川路利良 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E8%B7%AF%E5%88%A9%E8%89%AF

斎藤 昇(さいとう のぼる、1903年(明治36年)1月28日 – 1972年(昭和47年)9月8日)は、日本の内務官僚、政治家。運輸大臣・厚生大臣・警察庁長官。参議院議長を務めた斎藤十朗は子息。

>終戦間もない昭和21年(1946年)1月15日に山梨県知事に就任。昭和22年(1947年)2月には内務次官として本省へ戻る。その後、昭和22年(1947年)10月に警視総監、昭和23年(1948年)3月には旧警察法施行と同時に国家地方警察本部長官に就任、旧警察法時代を通じて在任した。昭和29年(1954年)7月、新警察法施行・警察庁発足時に初代の警察庁長官に就任し、戦後警察制度の推移する中で現行制度を確立する。昭和30年(1955年)7月に退官。
引用元:斎藤昇 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E6%98%87