「音楽部門」ラビ・シャンカール


高松宮殿下記念世界文化賞
ラビ・シャンカール
レナード・バーンスタイン
クラウディオ・アバド
絵画部門
音楽部門(答)
彫刻部門
建築部門
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サタジット・レイ監督の映画作品で音楽を手がけたことで有名な歌手ノラ・ジョーンズを娘に持つインド出身のミュージシャンは?
ラビ・シャンカール(答)
Ravi Shankar


高松宮殿下記念世界文化賞
アッパス・キアロスタミ
マルセル・カルネ
黒澤明
演劇・映像部門(答)

連想
高松宮殿下記念世界文化賞
ブリジット・ライリー
ウイレム・デ・クーリング
ジャスパー・ジョーンズ
絵画部門(答)

連想
高松宮殿下記念世界文化賞
ジョージ・シーガル
ブルース・ナウマン
ウンベルト・マストロヤンニ
彫刻部門(答)

連想
高松宮殿下記念世界文化賞
リチャード・ロジャース
レンゾ・ピアノ
安藤忠雄
建築部門(答)

高松宮殿下記念世界文化賞(たかまつのみやでんかきねんせかいぶんかしょう、Praemium Imperiale)は、1988年(昭和63年)に財団法人日本美術協会が前総裁・高松宮宣仁親王の「世界の文化芸術の普及向上に広く寄与したい」という遺志を継ぎ、協会設立100周年を記念して創設した賞である。

>「絵画」、「彫刻」、「建築」、「音楽」、「演劇・映像」の5部門で優れた人物に授与される。文化芸術の分野でノーベル賞を補完しようとする目的がある(ノーベル賞に存在する文学部門がないのはそのためである)。受賞者へは金メダルと1500万円が与えられる。
引用元:高松宮殿下記念世界文化賞 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%AE%AE%E6%AE%BF%E4%B8%8B%E8%A8%98%E5%BF%B5%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%9E

1997年 第9回
音楽部門
ラヴィ・シャンカール
北インドに伝わる民族楽器シタールの演奏家、作曲家。数千年の伝統を持つインド音楽を欧米に紹介、その影響なくては今日の音楽は違った形を取っていただろうといわれる。
1920年、ヒンズー教の聖地、インドのベナレス(現ヴァラナシ)で最上層階級の学者の家に生まれる。10歳の時、パリで活躍する長兄の舞踊団に参加。欧米各地を巡業してその文化、音楽に触れる。18歳でシタールを学ぶ決意を固め、巨匠アッラウッディン・カーンのもとで約7年間、厳しい修行を積む。
44年、ボンベイに移り、コンサートなどで大成功をおさめ、49年、全インド放送の音楽監督に就任。サタジット・レイ監督の「大地のうた」三部作、リチャード・アッテンボロー監督の「ガンジー」の映画音楽も担当した。一方、欧米で精力的な演奏活動を開始。パリのユネスコ・コンサート(1958)、国連人権コンサート(1967)、ロンドン交響楽団委嘱の「シタール協奏曲第1番」(1971)、「同第2番」(1981)などを通してクラシック音楽に刺激を与えた。また、モンタレー・ポップ・フェスティバル(1967)、ウッドストック・フェスティバル(1969)、バングラデシュ難民救済コンサート(1971)などにも出演し、ロック・ファンにも支持されるようになる。
ビートルズのジョージ・ハリスン、ジャズのバド・シャンク、ジョン・コルトレーンらにも影響を与える。精力を傾けて収集、作曲にあたってきたインド聖歌集「チャント・オブ・インディア」のアルバムがハリソンのプロデュースで97年、日本でも発売された。
引用元:ラヴィ・シャンカール – 高松宮殿下記念世界文化賞 http://www.praemiumimperiale.org/ja/laureate/laureates/shankar

2003年 第15回
音楽部門
クラウディオ・アバド
クラウディオ・アバドは2002年までの12年間、クラシック音楽の最高峰といわれるベルリン・フィルの芸術監督を務めた世界的な指揮者。豊かな音楽性と楽譜の精緻な読みには定評がある。ミラノの音楽一家に生まれ、バーンスタインやカラヤンに見出され、才能を開花させた。世界の主要オーケストラで指揮する一方、ウィーンなど主要オペラ劇場の音楽監督、主要音楽祭の芸術監督も務めている。来日公演は73年以来、多数。
引用元:クラウディオ・アバド – 高松宮殿下記念世界文化賞 http://www.praemiumimperiale.org/ja/laureate/laureates/abbado

1990年 第2回
音楽部門
レナード・バーンスタイン

指揮者、作曲家、ピアニスト、教育家として、クラシック界のみならずミュージカルでも「ウエストサイド物語」(1957)など不朽の名作を残し、幅広い活躍をしてきた音楽家である。
1918年、アメリカ、マサチューセッツ州ローレンス生まれ。大指揮者のクーセヴィツキーが創立した、ボストン郊外の避暑地で開かれるタングルウッド音楽祭に学んだことが、晩年、若い芸術家の育成に最も力を入れることにつながる。90年に札幌市で開かれた、日本初の国際教育音楽祭「パシフィック・ミュージック・フェスティバル」は彼の提唱で開かれた。このフェスティバルのオープニングで「私の残された時間は教育に捧げる」とスピーチした。
ニューヨーク・フィルハーモニックへのデビューはアメリカン・ドリームとして今も語り伝えられている。43年、インフルエンザにかかったブルーノ・ワルターの代演でカーネギーホールの舞台に立った彼は、見事な指揮で大成功をおさめた。ニューヨーク・タイムズは「素晴らしい天分に恵まれていたからこそ、チャンスを生かせたのだ」と書いた。89年、ベルリンの壁崩壊記念コンサートで、各国混成のオーケストラを編成し、ベートーベンの「交響曲第9番」を指揮して世界中に感動を巻き起こした。1990年死去。
引用元:レナード・バーンスタイン – 高松宮殿下記念世界文化賞 http://www.praemiumimperiale.org/ja/laureate/laureates/bernstein