清和政策研究会「岸田派」池田勇人が創設


自由民主党の派閥
源流は池田派
「加藤の乱」で派閥が分裂
現在の通称は「岸田派」
清和政策研究会
宏池会(答)
番町政策研究所
無派閥連絡会
55%


自民党の派閥の一つ
源流は福田派
現在の通称は「町村派」
森・小泉・安倍らの首相を輩出
清和政策研究会(答)

連想
自由民主党の派閥
改進党を起源にもつ
自民党で最も人数が少ない派閥
現在の通称は「山東派」
番町政策研究所(答)

連想
自民党の派閥の一つ
源流は田中派
現在の通称は「額賀派」
以前の呼び名は「経世会」
平成研究会(答)

連想
自民党の派閥の一つ
前身は大勇会
『礼記』の一節から命名
現在の通称は「麻生派」
為公会(答)

連想
自民党の派閥の一つ
源流は村上・亀井派
郵政政局で分裂状態に
現在の通称は「伊吹派」
志帥会(答)


2012年9月に自民党の
副総裁に就任した政治家です
高村正彦
こうむらまさひこ(答)
51%

宏池会(こうちかい)は、自由民主党の派閥(宏池会系)。通称は岸田派。
現存する最古参派閥である。
流れとしては、池田派→前尾派→大平派→鈴木派→宮沢派→加藤派→(※二派閥分裂)→古賀派→岸田派。
※2000年11月の加藤の乱に伴う派閥分裂中は、
加藤派→小里派→谷垣派
堀内派→丹羽・古賀派→古賀派
の二派閥に分かれていたが2008年5月13日、分裂していた二派閥が統一。

政策科学的機構としては、宏池政策研究会と定義される。吉田茂の直系の弟子である池田勇人によって創立されて以来[1]、大平正芳・鈴木善幸・宮沢喜一と4人の総理・総裁を輩出、野党時代にも河野洋平、谷垣禎一と2人の総裁を出しており、自他共に保守本流の名門派閥と見なされてきた。元来、池田を取り巻く官僚出身の議員やスタッフを中心に形成されたという沿革もあり、今日に至るまで政策に通じた議員が多く在籍する。しかし政策に明るいが政争に暗いと評され、「公家集団」と揶揄されることもしばしばみられる。
引用元:宏池会 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8F%E6%B1%A0%E4%BC%9A

清和政策研究会(せいわせいさくけんきゅうかい)は、自由民主党の派閥(十日会系)。旧称は清和会。略称は清和研。

>通称、細田派(福田派→安倍派→三塚派→森派→町村派→細田派)。党内では、平成研究会や宏池会と並ぶ保守の名門派閥である。自民党内では保守合同時の日本民主党(岸信介・鳩山一郎派)の流れを汲む。日本民主党の「反・吉田茂」路線を起源に持つため、親米を基調としながらも自主憲法論・憲法改正論を唱え、再軍備に積極的であるなど比較的タカ派色が強く、冷戦期にはその反共主義志向の反映として、韓国・台湾に独自の人脈を持った。岸派から続く自民党の有力派閥だったが、いわゆる「角福戦争」以降、自由党系の田中派(後の平成研究会)と大平派(宏池会)の主流派連合に対し、非主流派に甘んじることが多かった。森内閣発足以降、主流派として実質的に政権の中枢を担うようになった。
引用元:清和政策研究会 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%92%8C%E6%94%BF%E7%AD%96%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A

番町政策研究所(ばんちょうせいさくけんきゅうじょ)は、自由民主党の派閥(政策研究会系)。
「研究所」の名はついているがシンクタンクではない。「番町」を冠するのは事務局が紀尾井町にあるため。
略称は番町研、通称は山東派(松村・三木派→三木派→河本派→高村派→大島派→山東派)。
重光葵が率いた改進党を起源に持ち、松村謙三・三木武夫・河本敏夫の流れを汲む。現在までに三木武夫、海部俊樹と2人の総理・総裁を出しているが、総裁時代は小派閥ゆえにいずれも党内運営に苦慮し、道半ばでの退陣を余儀なくされている。三木や海部に代表されるように、政策的には党内左派と位置づけられることが多かったが、現在では保守系の議員も多く、そうした政策的な伝統はそれほど継承されていない。一方、独自路線を志向する歴史は引き継がれてきた。
なお、現会長山東昭子は自民党初の女性の派閥領袖である。
引用元:番町政策研究所 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%AA%E7%94%BA%E6%94%BF%E7%AD%96%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80

無派閥連絡会(むはばつれんらくかい)は、かつて存在した自由民主党の派閥横断型の政策勉強会。この項目では後身たる、無派閥有志の会についても扱う。

>2014年9月30日、石破茂が同会に入会、その2日後の10月2日に顧問に就任した[3]。同会は、上述の山本、鴨下、浜田など、2012年の自民党総裁選で石破を支持した議員が中心メンバーであるため、党内からは「事実上の石破派」と結成当初から目されていたが[1]、石破本人は、無派閥の議員がお互い助け合うことを目的とした会とし、派閥との見方を否定した[5]。

>2015年9月8日、石破は無派閥連絡会を同日付で解散し、自らの派閥を結成することを表明[6]。同月の28日に「水月会」の名称で石破派が結成[7]。
引用元:無派閥連絡会 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%B4%BE%E9%96%A5%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A