三河島事故、鶴見事故、北陸トンネル列車火災事故


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次の日本の鉄道事故を
起きたのが早い順に
選びなさい
新橋駅構内列車脱線事故 1874 日本最初の鉄道事故
根府川駅列車転落事故 1923 関東大震災に伴う事故
八高線列車脱線転覆事故 1947 超満員による事故
桜木町事故 1951 工事中の架線に接触したことによる事故「五大事故」
三河島事故 1962 当初衝突後の二重事故を誘発。ATS推進へ「五大事故」
鶴見事故 1963 競合脱線による事故「五大事故」
北陸トンネル列車火災事故 1972 トンネル内停車時の火災による事故
31%

「しねや、桜木みつほ」
下記リンク「QMA神」謹製のゴロを有り難くお借りします。


次の昭和時代の事件を起こった順に選びなさい
下山事件
三鷹事件
松川事件

線結び
次の1949年に起きた事件とその舞台になった鉄道の路線の正しい組み合わせを選びなさい
下山事件───常磐線
三鷹事件───中央本線
松川事件───東北本線

他にもちょっと工夫して

・次の日本の鉄道事故を起きたのが早い順に選びなさい

A、新橋駅構内列車脱線事故(1874)→根府川駅列車転落事故(1923)→八高線列車脱線転覆事故(1947)→桜木町事故(1951)→三河島事故(1962)→鶴見事故(1963)→北陸トンネル列車火災事故(1972)

この問題はおそらく選択肢が7個なんですけど(8つあったらごめんなさい)

頭文字だけ取り出すと「し、ね、は、さ、み、つ、ほ」ですね。

「しねはさみつほ」だけでもまぁ呪文として悪くないですけど、

八高線を「やこうせん」と読んで、敢えて桜木町は「桜木」で残しておきます。

そうすると「し、ね、や、桜木、み、つ、ほ」ですね。

そうするとなんか文章みたいのが見えてきます。

「しねや、桜木みつほ」 ですね。問題文と相まって、なんか物騒ですが7つの選択肢が一つの文章になりました。でも、こういう過激なゴロの方が頭には結構残るものなんで、ゴロを作るときは出来るだけインパクトが強いように作りましょう。

全国の桜木瑞穂(みつほ)さんに謝りつつ、この問題を解きましょう。
引用元: 順番当てについて。 – naya-nの日記.

本項では、1949年以前に発生した日本の鉄道事故について記述する。
1950年から1999年までに発生した日本の鉄道事故については日本の鉄道事故 (1950年から1999年)を参照。
2000年以降に発生した日本の鉄道事故については日本の鉄道事故 (2000年以降)を参照。
>新橋駅構内列車脱線事故[編集]
1874年(明治7年)10月11日(列車脱線事故)
新橋駅構内で横濱からの列車が到着する際、ポイント通過時に機関車と貨車1両が脱線し転覆。負傷者なし。以後終日運休となった。
原因はポイントの故障とされる。日本最初の鉄道事故。
引用元: 日本の鉄道事故 (1949年以前) – Wikipedia.

根府川駅列車転落事故[編集]
熱海線(現在の東海道本線)根府川駅のホームに停止しようとしていた下り真鶴行き列車(960形蒸気機関車977牽引、乗客約150名)が、関東地震によって引き起こされた地滑りに遭遇し、ホームごとおよそ45m下の海中に転落、客車8両のうち最後部の2両[注 2]が波打ち際に残ったほかは海中に没した。鉄道省の記録では、列車の乗客と乗務員合わせて111名が死亡、更に、ホームにいた駅員3名が死亡、乗客約20名が行方不明、これも合計すると死者行方不明者は約130名。死者数は資料によって異なっている[6]。
引用元: 日本の鉄道事故 (1949年以前) – Wikipedia.

八高線列車脱線転覆事故[編集]
1947年(昭和22年)2月25日 7時50分
八高線東飯能駅 – 高麗川駅間の20‰下り勾配で、C57 93が牽引する超満員(屋根の上に乗客を乗せざるを得ないという異常ともいえる運転状態が常態化していた)の乗客を乗せた、八王子発高崎行き、6両編成の客車列車が過速度により半径250mの曲線を曲がりきれずに後部4両が脱線し、築堤上から5.6m下の畑に転落。客車の木造車体が大破し、184名が死亡し495名が負傷するという大事故となった。
引用元: 日本の鉄道事故 (1949年以前) – Wikipedia.

桜木町事故[編集]
(京浜線桜木町駅電車火災事故、桜木町国電火災、国鉄戦後五大事故のひとつ)
1951年(昭和26年)4月24日
京浜線の電車(モハ63形、5両編成1271B列車)が、桜木町駅構内で碍子交換工事中に誤って切断され、垂れ下がっていた架線に接触し、電流の地絡により炎上。先頭車が全焼、2両目が半焼し、死者106名、重傷者92名を出す大事故となった。
その当時、京浜線電車に使用していた戦時設計の63系の粗悪な構造が死傷者を多くしたとして、国電の安全対策強化の契機となった。
詳細は「桜木町事故」を参照
引用元: 日本の鉄道事故 (1950年から1999年) – Wikipedia.

常磐線三河島駅列車多重衝突事故[編集]
1962年(昭和37年)5月3日
国鉄戦後五大事故のひとつ
常磐線三河島駅構内で貨物線から下り本線に進入しようとした田端操車場発水戸行きの下り貨物列車(蒸気機関車牽引)が、停止信号を冒進して安全側線に進入し脱線。先頭の機関車が下り本線を支障した直後に三河島駅を1分遅れで出発し下り本線を進行してきた上野発取手行きの下り電車と衝突し、脱線した下り電車は上り本線を支障した。約6分後、さらにその現場に上野行きの上り電車が高速で突入。上り電車は線路上に避難していた乗客多数を巻き込みながら下り電車に衝突、双方の先頭車両は原形を留めず粉砕され、一部の車両は築堤下へ転落して民家に突っ込んだ。死者160名を出す大事故になった。
下り貨物列車と下り電車が衝撃した時点での人的被害は小規模だったが、下り電車の乗客が上り線路上へ出てしまったことと、約6分の暇が有りながら事故現場へ接近する上り列車を非常停止させるための防護処置が行われなかったことで二重事故となり、人的被害を大きくしてしまった。この事故が契機となって自動列車停止装置 (ATS) や列車無線の設置を推進することになった。
詳細は「三河島事故」を参照
引用元: 日本の鉄道事故 (1950年から1999年) – Wikipedia.

東海道本線鶴見列車多重衝突事故[編集]
1963年(昭和38年)11月9日
国鉄戦後五大事故のひとつ。
東海道本線鶴見 – 新子安間で、貨物線(現在の横須賀線線路)走行中の下り貨物列車が脱線し、そこに横須賀線の上下旅客列車が進入して三重衝突事故となる。合わせて死者161名、重軽傷者120名という大事故になった。
調査の結果、競合脱線が原因だとされた。
詳細は「鶴見事故」を参照
引用元: 日本の鉄道事故 (1950年から1999年) – Wikipedia.

北陸線北陸トンネル列車火災事故[編集]
1972年(昭和47年)11月6日
北陸トンネル内を走行中だった、大阪発青森行き客車急行列車「きたぐに」の11号車食堂車(オシ17形)喫煙室椅子下から火災が発生し、列車が当時の規則に基づいてトンネル内で停車した。しかし、密閉された空間であるトンネル内だったことから、乗客・乗務員の多くが一酸化炭素中毒にかかり、30名が死亡、714名が負傷した。
この事故の3年前に同トンネル内で発生した特急日本海火災事故では、トンネル外まで列車を引き出して消火し物損のみに留めた。この事例に基づき規則改正を図れば避けられた惨事だが、逆に日本海乗務員を運転規則違反で処分し、規則が改正されなかったことで惨事化した。
国鉄ではこの事故を教訓に実験を重ねた結果、トンネル内火災では脱出してから消火する方が安全であると確かめられたことから、運行規則が改められるとともに、地下鉄や長大トンネルを走る車両の難燃化・不燃化の基準が改訂され、車両の防火対策が進められた。
詳細は「北陸トンネル火災事故」を参照
引用元: 日本の鉄道事故 (1950年から1999年) – Wikipedia.

国鉄戦後五大事故(こくてつせんごごだいじこ)とは、公共企業体日本国有鉄道が存在した1949年(昭和24年)6月から1987年(昭和62年)4月の間にその営業鉄道路線・航路で発生した、死者が100人を超える5つの事故の総称である。
引用元: 国鉄戦後五大事故 – Wikipedia.