GHQ本部が置かれたビル 第一生命館 薄茶で後方のビルと一体の建物

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次のうち、戦後
GHQの本部が置かれた
こともある建物はどっち?
(画像選択肢)
A明治生命館 アメリカ極東空軍司令部
B第一生命館(答)総司令部本部

どちらのビルもGHQに接収され、本部はBの第一生命館のようです。
第一生命館(DNタワー)は後方のビルと一体の建物になっているようです。

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引用元: 旧第一生命館(DNタワー21).

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引用元: ファイル:Meiji Yasuda Life Insurance Company Head Office 2009.jpg – Wikipedia.

連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ、聯合国軍最高司令官総司令部、連合国最高司令官総司令部)とは、大東亜戦争(太平洋戦争)の終結に際してポツダム宣言の執行のために日本において占領政策を実施した連合国軍の機関である。ただ、「連合国軍」とはいっても、その多くの職員はアメリカ合衆国軍人とアメリカの民間人、少数のイギリス軍人やオーストラリア軍人などで構成されていた。
>極東委員会の下に位置し、最高責任者は連合国軍最高司令官(連合国最高司令官)。日本では、総司令部 (General Headquarters) の頭字語であるGHQや進駐軍という通称が用いられた。支配ではなくポツダム宣言の執行が本来の役目である。
>当初は現在の横浜税関に置かれたが、後に皇居と東京駅に挟まれた丸の内地区一帯のオフィスビルはその多くが駐留する連合国軍によって接収され、このうち総司令部本部は第一生命館に置かれた。マッカーサー用の机は石坂泰三のものをそのまま使用した。
第一生命保険側は占領下では第一生命館の接収が免れ得ない事を承知しており、当時では最新のオフィスビルであった当館を司令部として使う優位性を説明し採用されたものである。これは、司令部として使われるのであれば丁寧に使用され将来の接収解除後は問題なく使用できるであろうことを期待した措置であり、結果としてその目論見は奏功した。なお当館地下の保険証券倉庫部分は、その重要性が理解され接収の対象外であった。
引用元: 連合国軍最高司令官総司令部 – Wikipedia.

 本社屋である東京・日比谷の「第一生命館」は、昭和13年(1938)に渡辺仁・松本与作の共同設計で建設されました。
 終戦後、昭和20年(1945)に連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収されました。マッカーサー総司令官は東京に進駐した当日に、都内を車で視察し、複数あった候補の中からこのビルを選んだといわれています。第一生命館では、現在でもマッカーサー総司令官室が保存されています。 (※通常、一般公開はしておりません)
引用元: 旧第一生命館(DNタワー21).

明治生命館(めいじせいめいかん)は、東京都千代田区丸の内二丁目にある建築物である。設計は岡田信一郎・捷五郎(兄弟)、構造設計が内藤多仲。重要文化財には「明治生命保険相互会社本社本館」として指定されている。
>太平洋戦争後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収。アメリカ極東空軍司令部として使用され、対日理事会の第1回会議は明治生命館2階の会議室で行われた。1956年(昭和31年)、アメリカ軍から返還された。
1997年(平成9年)、昭和の建造物として初めて重要文化財の指定を受けた。
引用元: 明治生命館 – Wikipedia.

同じ街区に存在していた、1933年(昭和8年)竣工の農林中央金庫有楽町ビル、終戦後1945年(昭和20年)にGHQに接収され、総司令部本部として使用された1938年(昭和13年)竣工の第一生命館をそれぞれ部分保存の上、解体・再構築し一体の建物としたものである。第一生命保険と農林中央金庫の頭文字からDNタワー21と名付けられた。
引用元: DNタワー21 – Wikipedia.