「グアム島」1972横井庄一が帰国 「ルバング島」1974小野田寛郎(ひろお)が帰国

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1970年代に日本兵の生き残りの
横井庄一が発見された島は?
ルバング島
グアム島(答)
ミンダナオ島
サイパン島

小野田寛郎さんはルバング島です

横井 庄一(よこい しょういち、1915年3月31日 – 1997年9月22日)は、日本の陸軍軍人、評論家。最終階級は陸軍軍曹、栄典は勲七等青色桐葉章。
太平洋戦争(大東亜戦争)終結から28年目、アメリカ領グアム島で地元の猟師に発見された残留日本兵として知られる。
>1941年(昭和16年)には再召集され、満州を経て1944年(昭和19年)からはグアム島の歩兵第38連隊に陸軍伍長として配属。同年7月にはアメリカ軍が上陸し(グアムの戦い)、8月に同島で戦死したとされ戦死公報が届けられた。1965年(昭和40年)10月30日の第19回戦没者叙勲では、戦没者として、戦前受けていた勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載されている。
当時、グアム守備隊壊滅後も生き残った一部の将兵は山中に撤退しゲリラ戦を行っていたが、1945年(昭和20年)のポツダム宣言受諾によって日本軍の無条件降伏が発令されたことは知らされなかった。横井らはジャングルや竹藪に自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年(昭和47年)1月24日、エビやウナギをとるためにウケをしかけに行ったところ、現地の行方不明者を捜す村人たちに遭遇、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した(なお、撤退当初から横井には2人の戦友が居たが、発見の約8年前に死亡している)。
引用元: 横井庄一 – Wikipedia.

小野田 寛郎(おのだ ひろお、大正11年(1922年)3月19日 – 平成26年(2014年)1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。
情報将校として大東亜戦争に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、戦争終結から29年目にしてフィリピン・ルバング島から帰還を果たす。
>だがそんな小野田も、長年の戦闘と小塚死亡後の孤独により疲労を深めていった。昭和49年(1974年)に、一連の捜索活動に触発された日本の青年鈴木紀夫が現地を訪れ、2月20日に孤独にさいなまれていた小野田との接触に成功する。鈴木は日本が敗北した歴史や現代の状況を説明して帰国をうながし、小野田も直属の上官の命令解除があれば、任務を離れることを了承する。3月9日にかつての上官である谷口義美元陸軍少佐から、文語文による山下奉文陸軍大将(14HA司令官)名の「尚武集団作戦命令」と口達による「参謀部別班命令(下記)」で任務解除・帰国命令が下る。
>こうして小野田にとっての戦争が終わり、3月12日に帰国を果たした。小野田は足跡を残すことを恐れて暦は全て頭の中の記憶だけで把握していたが、30年の暮らしで6日間しかずれていなかった。小野田は発見時は51歳だったが、自分の寿命は60歳と決めていて、あと9年経って60歳になったらレーダー基地に決死の突入攻撃をして果てる覚悟だったという。
引用元: 小野田寛郎 – Wikipedia.