【TNSC】H-2

次の日本のロケットと
初めて打ち上げられた場所の
正しい組み合わせを選びなさい
ミューロケット───内之浦宇宙空間観測所
H-2ロケット───種子島宇宙センター
カッパロケット───秋田ロケット発射場
60%

次の日本のロケットを
打ち上げられたのが
早い順に選びなさい
カッパロケット
ラムダロケット
ミューロケット
イプシロンロケット
32%

引用元:K【糸川英夫】 | 【QMA復習】 https://seethefun.net/%E7%90%86%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/53652/

種子島宇宙センター(たねがしまうちゅうセンター、英語:Tanegashima Space Center 、略称:TNSC)は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県の種子島に設置し、運用している、大型ロケットの射場である。略称がTSCでないのは、同じJAXAの筑波宇宙センター(TKSC)と区別するためである。

主なロケット打ち上げ実績[編集]
2018年9月末時点での人工衛星打ち上げ用ロケットの発射実績を記す。液体燃料を使用する日本の主力ロケットはいずれも種子島から打ち上げられており、2018年時点でH-IIAロケットとH-IIBロケットが現役である。一方、ミューロケット等の固体燃料ロケットは、内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられている(J-Iを除く)。2018年2月末現在、小型ロケットなどを含めて計172機が打ち上げられている[4]。

Jシリーズ – J-Iロケット1機
Nシリーズ – N-Iロケット7機、N-IIロケット8機
Hシリーズ – H-Iロケット9機、H-IIロケット7機、H-IIAロケット40機、H-IIBロケット8機
引用元:種子島宇宙センター – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E5%AD%90%E5%B3%B6%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC

内之浦宇宙空間観測所(うちのうらうちゅうくうかんかんそくしょ、英語: Uchinoura Space Center:USC)は、鹿児島県肝属郡肝付町(旧内之浦町)にある日本の宇宙空間観測施設・ロケット打ち上げ施設。世界でも珍しい山地に立つロケット発射場である。鹿児島宇宙センターの所管であり、敷地面積は70万4345平方メートル[1]。

2007年にDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれた。

最初に糸川英夫が、内之浦町の現地調査を行ったのが1960年10月24日で[3]、1961年4月11日に東京大学生産技術研究所が内之浦を射場として選び[4]、その後秋田ロケット実験場に続く日本で2番目のロケット打ち上げ施設として1962年2月2日に起工され[5]、1963年12月9日に開所された。旧名称の英略はKSCでケネディ宇宙センターと同じであった。しかし、命名はこちらの方が先であるという経緯もあり、かつては元祖KSCを名乗っていた。

日本最初の人工衛星である「おおすみ」(内之浦のある大隅半島にちなんで名づけられた)の打ち上げなど、ISASが独自に開発した固体燃料ロケットであるカッパ、ラムダ、ミューなどを用いての宇宙観測や技術試験、天文観測衛星・惑星探査機の打ち上げ、また、それらの追跡・管制を行っている。
引用元:内之浦宇宙空間観測所 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E4%B9%8B%E6%B5%A6%E5%AE%87%E5%AE%99%E7%A9%BA%E9%96%93%E8%A6%B3%E6%B8%AC%E6%89%80

秋田ロケット実験場(あきたロケットじっけんじょう、Akita Rocket Range、略称ARR)は、秋田県由利郡岩城町(現由利本荘市)の道川海岸にあった、東京大学生産技術研究所のロケット発射実験施設である。所在地から単に道川と呼称されることもある。

カッパロケット打ち上げ[編集]
1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)にかけての国際地球観測年(IGY)に日本が参加を表明したことを受け、文部省(現文部科学省)は、大気圏上層観測のために高度100kmまで到達可能なロケットの開発を糸川に打診、1956年(昭和31年)1月、東大生研へ正式に協力要請が下された。ペンシルおよびベビーで経験を積んだAVSA研究班は、本格的な観測用ロケット『カッパ(K)ロケット』の開発に着手した。

ベビーよりも大型となるカッパを打ち上げるにあたって、発射場は勝手川河口北側500mの海岸へと移された。1956年(昭和31年)9月24日、K-1型が初飛翔。到達高度は10kmであった。

カッパの開発は必ずしも順風満帆ではなかったが、1958年(昭和33年)9月、K-6型が高度60kmに到達した。当初目標の高度100kmには及ばなかったものの、この観測データをもって日本はIGY参加の責務を果たした。

現在の道川海岸[編集]
現在の秋田ロケット実験場跡地には、当時の施設類は一切現存していない。岩城町が建立した「日本ロケット発祥記念之碑」のみが、日本の宇宙開発最初期の舞台であった歴史を今に伝えている。
引用元:秋田ロケット実験場 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E5%AE%9F%E9%A8%93%E5%A0%B4