【建築】ヴォーリズ【近江兄弟社】

京都にある自宅は記念館に
日本遺伝学の元会長
トーマス・モーガンに師事
別名「日本のダーウィン」
駒井卓(答)
箕作佳吉
飯島魁
丘浅次郎
33%

ヴォーリズと駒井卓・静江夫妻の共同作品「駒井家住宅」
京都市左京区北白川、白川疏水のせせらぎが心地よい桜並木の散策道沿いの一角に、駒井家住宅はあります。駒井家住宅は、「日本のダーウィン」と称され遺伝学等に大きな功績を残した駒井卓博士(京都大学名誉教授)の私邸として、1927年、ヴォーリズ建築事務所の設計により建てられました。
外観は、当時アメリカで流行していたスパニッシュ様式をベースにしながらも赤い和瓦を使うなど周囲の環境とほどよく調和し、ヴォーリズの心遣いを感じさせます。芝生敷きとなっている庭園は、草花や樹木が季節を感じさせ、テラスの藤棚からは柔らかな光が差し込み、穏やかで心地のよい時間が流れています。このお庭では、かつて駒井家のご家族がテーブルとパラソルを出して団欒のひとときを過ごしました。
玄関から居間に入ると、思いがけず広々とした、明るい空間が広がっています。ヴォーリズは独創性や凝ったデザインよりも、住み心地を考えた健康的・能率的な建築を目指し、施主の要望に沿うことを心がけました。駒井家住宅にも、腰掛付きの出窓やふんだんに備えられた収納スペースなど、機能的な工夫が随所に見られます。サンルームの隣の和室は、普段は着物で過ごしていた静江夫人の希望に応えたものだと考えられています。玄関から左手の階段は、着物でも上がり下りしやすいように段差が低くなっており、ヴォーリズの配慮が伺えます。ヴォーリズは駒井夫妻の希望を柔軟に聞き、設計に取り入れていきました。駒井家住宅はまさに、ヴォーリズと駒井夫妻の共同作品と言えるでしょう。
愛らしいクリスタルのドアノブ、階段室のステンドグラス、駒井夫妻が愛用した家具も残されており、当時の暮らしを思わせる温かみのある建物です。
引用元:駒井家住宅(駒井卓・静江記念館) | 保護対象・保護資産 | 私たちの取り組み | 公益財団法人日本ナショナルトラスト http://www.national-trust.or.jp/protection/index.php?c=protection_view&pk=1490651710

駒井卓
こまいたく
(1886―1972)

日本におけるショウジョウバエの遺伝学や人類遺伝学の草分け的存在の一人。兵庫県姫路市生まれ。姫路中学から東京高等師範学校博物学科を卒業、1917年(大正6)東京帝国大学理学部動物学科選科修了。1920年京都帝国大学理学部助教授となり、その後、アメリカのコロンビア大学のモーガンの下でショウジョウバエの研究を行い、日本におけるこの分野の研究の端緒を開いた。京都大学教授、同理学部長、東京大学教授をも兼任。日本学士院会員、日本学術会議会員、日本遺伝学会長も務め、国立遺伝学研究所部長として、設立まもない同研究所の基礎確立に大きな役割を果たした。甲殻綱口脚類や腔腸(こうちょう)動物のクシクラゲ類、原索動物などの分類学、発生学の研究や、チョウ、ショウジョウバエ、テントウムシなどの昆虫やカタツムリ、ネコさらにはヒトの細胞学および遺伝学的研究に大きな貢献をした。著書に『日本人を主とした人間の遺伝』(1951)、『人類を主とした遺伝学』(1952)、『遺伝学に基づく生物の進化』(1963)、『人類の遺伝学』(1966)など多数がある。[黒田行昭]
引用元:駒井卓(こまいたく)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%A7%92%E4%BA%95%E5%8D%93-66055

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、1880年10月28日 – 1964年5月7日)は、アメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家、社会事業家、信徒伝道者。

建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。

またYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。

讃美歌や同志社カレッジソングなどの作詞作曲を手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介するなど、音楽についての造詣も深かった。
引用元:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BA

みつくりかきち【箕作佳吉】

1857‐1909(安政4‐明治42)
明治初期の動物学者。江戸末期蘭学者箕作秋坪の子として江戸に生まれる。慶応義塾,大学南校に学んだあと,1878年アメリカのイェール大学に留学。ついでジョンズ・ホプキンズ大学,さらにイギリスのケンブリッジ大学で動物学を身につけ帰国。82年,外国人教師C.O.ホイットマンのあとを受け,日本人として初めて東京大学動物学教授となり,1909年に死ぬまで,その職にあった。その間,ナマコの分類,カメの発生などの研究,あるいは三崎臨海実験所(神奈川県三浦市)の開設など,日本の近代動物学の基礎づくりに貢献した。
引用元:箕作佳吉(ミツクリカキチ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E7%AE%95%E4%BD%9C%E4%BD%B3%E5%90%89-638650

飯島 魁
イイジマ イサオ

明治・大正期の動物学者 東京帝国大学教授。

生年文久1年6月17日(1861年)
没年大正10(1921)年3月14日
出生地遠江国浜松(静岡県浜松市)
学歴〔年〕東京大学生物学科(動物学)〔明治14年〕卒
学位〔年〕理学博士〔明治24年〕
経歴ライプティヒ大学に留学、明治19年東京帝大理科大教授となった。39年帝国学士院会員。また三崎臨海実験所長も務めた。日本の寄生虫学の開祖で、ミゾサナダムシの幼虫を飲んで、その感染経路を明らかにした。また海綿類に関する業績も残した。一方、考古学にも興味を持ち、モースの大森貝塚発掘に参加、東大在学中の12年佐々木忠次郎と共に霞ケ浦西岸稲敷台地の陸平貝塚を発掘、日本人による貝塚発掘の第一号となり、大森貝塚とは異なる縄文土器の存在を明らかにした。30年神戸・和田岬で開かれる第2回水産博覧会では、水族館の水槽に日本で最初の海水・淡水循環装置を指導した。著書に「動物学提要」「中等教育動物学教科書」「人体寄生動物編」「日本の鳥目録」などがある。
引用元:飯島 魁(イイジマ イサオ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%A3%AF%E5%B3%B6%20%E9%AD%81-1637709

丘浅次郎
おかあさじろう

[生]明治1(1868).11.18. 静岡
[没]1944.5.2.
動物学者。東京帝国大学動物学科 (選科) 卒業 (1889) 後,渡欧 (91) 。フライブルク,ライプチヒなどで研究,ヒルに関する研究で学位 (ドイツ) を受け,帰国後,ただちに旧制山口高校教授となり (95) ,理学博士。東京高等師範学校教授となり (97) ,以来三十余年その位置にとどまる。専門はヒル類,ホヤ類,淡水産コケムシの分類と形態であるが,ほかに無脊椎動物に関する多くの論文がある。『進化論講話』 (1904) ,『進化と人生』 (06) などによりダーウィンの進化論の紹介に努め,日本文化に広い影響を及ぼした。
引用元:丘浅次郎(おかあさじろう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%B8%98%E6%B5%85%E6%AC%A1%E9%83%8E-39692