ニコラ・「ルブラン」 エルンスト・「ソルベー」


塩化ナトリウムから炭酸
ナトリウムを工業的に得る製法に
名を残すフランスの科学者は
ニコラ・◯◯◯◯?
トブソャベ
ターンルシ
ルブラン(答)
27%


炭酸ナトリウムを多量につくる「アンモニア・ソーダ法」を考案したベルギーの科学者はエルネスト・◯◯◯◯?
ソルベー(答)

連想
ベルギーの化学者
政治家としても活動
物理に関する国際会議に名を残す
無水炭酸ナトリウムの製造法
ソルベー(答)

ニコラ・ルブラン(Nicolas Leblanc, 1742年12月6日 – 1806年1月16日)はフランスの化学者。塩化ナトリウムから炭酸ナトリウムを合成する方法(ルブラン法)を初めて発見した。外科医でもある。ルブラン法はフランスではなく、主にイギリスで発展し、ソルベー法が発明されるまで100年以上も化学工業の基盤となった。

ルブラン法[編集]
当時、炭酸ナトリウム(ソーダと呼ばれていた)の原料は木材の灰だけであった。ところが、森林が減少する一方なのに対し、ソーダの需要は増していた。このため、 1775年、フランス科学学士院は食塩から炭酸ナトリウムを作り出すことのできる工程に対する賞を提案した。フランス学士院は安価な塩化ナトリウムから需要の多い炭酸ナトリウムを製造することを推進したかった。
1791年までに、ニコラ・ルブランは2段階の反応によって塩から炭酸ナトリウムを製造することに成功した。最初の段階では、塩化ナトリウムは濃硫酸と800 – 900℃で混合され、塩化水素が生じ、固体の硫酸ナトリウムが生成される。第2段階で、硫酸ナトリウムは砕いて木炭、石灰石と混合され、再び高炉の中で加熱される。木炭と混合した炭酸ナトリウムは「黒灰」と呼ばれた。これを水に溶かした後、炭酸ナトリウムのみを回収した。
海水中の塩と硫酸を原料として用いたニコラ・ルブランの方法に対して賞は授与された。のちに、1年間に320トンの炭酸ナトリウムを製造する彼自身の工場がオルレアン公の援助によりパリの北に位置するサンドニに稼働した。
引用元:ニコラ・ルブラン – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3

ソルベー
そるべー
Ernest Solvay
(1838―1922)

ベルギーの工業化学者。ブリュッセルの近くのラベックに製塩業者の子として生まれる。学校教育をあまり受けなかったが、父親が経営する製塩業を手伝うかたわら、物理や化学を独学で修めた。1859年、叔父であるスメーFlorimond Semetの経営するガス会社に入り、経営に参画、そこで、ガスやタールの処理法の改善に従事するようになった。とくに廃棄物として当時適当な処理方法のなかったアンモニアの処理法に取り組み、それがきっかけとなって、ソーダ灰の製造法の研究に着手するようになった。アンモニア水の濃縮過程で発生するアンモニアと炭酸ガスを食塩水に吸収させたところ、重炭酸ソーダ(ソーダ灰)の生成をみたのである(1860)。これに注目したソルベーは1861年に最初の特許をとり、ソーダ灰製造の工業化に着手。1863年にはソルベー社を設立し、1865年操業を開始した。1866年には日産1500キログラムの生産に成功し、工業化への見通しをつけた。やがてソルベー法は各国に普及し、ルブラン法を凌駕(りょうが)してソーダの主要な製造法となる。
引用元:ソルベーとは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%BD%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%BC-90476

世界初の合成法を生み出すも、
時代に翻弄され非業の死をとげた
ニコラ・ルブラン(1742~1806)

18世紀ごろまで、フランスはスペインから炭酸ソーダを輸入して石鹸を作っていましたが、スペインで王位継承戦争が起こると輸入が止まってしまいました。そこで当時の国王ルイ16世とフランス科学アカデミーは海塩から炭酸ソーダを作る方法を10万フランの賞金を掛けて募りました。

それに成功したのがフランス人化学者のルブラン。フランス王族ルイ・フィリップ2世(オルレアン公)の主治医でもあったルブランはこのようにして炭酸ソーダを合成しました。

ルブラン法による炭酸ソーダの合成
硫酸と食塩から硫酸塩を作る
硫酸塩をコークス、石灰石とともに約1000℃で焼いて黒灰を作る
黒灰を水で洗い、その中に溶け出した成分を蒸発濃縮させて炭酸ソーダの結晶を取り出す
できあがった炭酸ソーダをさらに石灰乳で処理すると、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)ができる
 
オルレアン公の援助を受け、ルブランは1790年に工場を建設して操業を始めます。しかし、その後フランス革命(1789年~)によってパトロンのオルレアン公は処刑。工場は没収され、そのうえ賞金の約束まで反故にされてしまいました。その後ナポレオンによって工場は返還されたものの事業を再開させる余力はすでにルブランにはなく、工場返還から数年後に彼は自ら命を絶ちます。

完成度の高い技術だけでなく
商才も駆使して大富豪にのし上がった
エルネスト・ソルベー(アーネスト・ソルベー)(1838~1922)

19世紀になると、製鉄業が盛んになります。鉄を作るための燃料「コークス」は石炭を蒸し焼きにして作るのですが、そのときにアンモニアが副産物としてできます。そのアンモニアで食塩を分解して炭酸ソーダが作れないかと考え、それに成功したのがソルベーです。

ソルベー法(アンモニアソーダ法)による炭酸ソーダの合成
食塩水にアンモニアと炭酸ガスを通す
1の作業によって水中に炭酸水素ナトリウム(重曹)が沈殿する
炭酸水素ナトリウムを加熱すると炭酸ソーダができる
   できあがった炭酸ソーダにさらに石灰乳を加えて加熱すると、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)ができる
 
1861年、ソルベーはこの方法の特許を取りました。ソルベー法はルブラン法に比べて低温で作業するため燃料が少なくて済み、しかも製品の純度は高いという画期的な方法でした。以後、20世紀にかけて工業がより大規模化するにしたがってソルベー法はルブラン法を圧倒してゆきます。
引用元:炭酸ソーダ合成法・発見者の明暗 – 石鹸百科 http://www.live-science.com/honkan/alkali/alklmanufact03.html