「川本幸民」マッチやビールを作った日本の化学の父 『遠西奇器述』

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「化学」という言葉を考案し
マッチやビールを日本で初めて
制作した、「日本の化学の父」
と呼ばれる幕末の化学者は?
川曜本徹三
真田民原幸
川本幸民(答)

この問題で無関係な「川田龍吉」の文字を探していたので、それも復習します。

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じゃがいもの品種「男爵イモ」の
名の由来になった男爵の名は
川田◯◯?
◯の漢字をひらがなで答えなさい
りょうきち
「川田龍吉」かわだちょうきち

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幕末・明治期の技術者
幕府の通詞としても活躍
日本橋の鉄橋を長崎に建設
日本活版印刷の先駆者
川本幸民
本木昌造(答)
上野彦馬
下岡蓮杖
引用元:本木昌造「通詞として活躍した日本活版印刷の創始者」「長崎の鉄橋(くろがねばし)」 | わかればいいのに I wish I knew http://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/3040/

川本 幸民(かわもと こうみん、文化7年[1](1810年) – 明治4年6月1日[2](1871年7月18日))は、幕末・明治維新期の蘭学者。名は裕(ゆたか)、号は裕軒(ゆうけん)。父は三田藩侍医の川本周安[3]。その業績から、日本の化学の祖とも言われる。
>多くの科学の著訳書があり、白砂糖、マッチ[5]、銀板写真なども試作しており日本の科学の発展に貢献した。また、1853年(嘉永6年)頃、日本で初めてビールを試醸し[6]、浅草の曹源寺で試飲会を開催した[7]。このことがキリンビールの「ビール5000年の旅探究プロジェクト」の一環として取り上げられ、広告などに使われた[8]。
引用元:川本幸民 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%9C%AC%E5%B9%B8%E6%B0%91

幸民はこのころ、江戸の薩摩藩士向けに西洋の先端技術を講義していたが、この講義録をまとめて急遽発刊することにした。安政元年(1854年)に刊行されたその著書『遠西奇器述』は、蒸気船の構造、写真術、電信などについて詳細に記述し、西洋の科学技術を理解するのに最適だった。この年、ペリーが再来港し日米和親条約が締結されたこともあり、諸藩は国防の参考にしようと争ってこれを求め、大ベストセラーとなった。
『遠西奇器述』は薩摩藩の洋式軍艦「昇平丸」の建造にも参考にされた。この十年ほど前から、薩摩藩主島津斉彬は幸民に、西洋の軍備や兵器、電信機、写真機、製塩法などに関する文献の翻訳を依頼してきた。この積極的な情報収集のおかげで、薩摩藩はペリー再来日の翌年には外輪式の蒸気船「雲行丸」を完成させることができたのである。
引用元:川本幸民| 江戸の科学者列伝 | WEB連載 | 大人の科学.net http://otonanokagaku.net/issue/edo/vol2/index.html