「和田寧」わだねい 江戸時代の和算家「円理表」「円理豁術(えんりかつじゅつ)」 「吉田光由」『塵劫記』角倉了以の孫

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様々な関数の定積分の結果を
表にした「円理表」を完成
させたことで知られる
江戸時代の数学家は?
武吉寧田
関和孝一
和田寧(答)
わだねい

「円理」とは弧・円周・円や球の体積に関する各種計算・理論のようです。

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戦国時代の豪商・角倉了以の孫で
ある江戸時代の数学者で、著書に
『塵劫記』があるのは○○光由?
○の苗字をひらがなで答えなさい
よしだ(答)
「吉田光由」
よしだみつよし


数学者・関孝和の弟子として彼の理論の解説書を多数著した円周率に関する研究で有名な江戸時代の和算家は?
建部賢弘(答)
たてべかたひろ

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三角関数の級数展開を記した著書「方円算経」でも有名な、関孝和を祖とする「関流和算」を確立させた江戸時代の数学者は?
松永良弼(答)
まつながよしすけ

和田 寧(わだ ねい、天明7年(1787年) – 天保11年9月18日(1840年10月13日))は、江戸時代の和算家・武士。前名は香山政明、字は子永、通称は直五郎、豊之進。号は算学、円象。
>和算の円理で活躍し、後世に名を残す。円理豁術(えんりかつじゅつ)なる分野を生み出し、それに基づいて円理表を作った。これを一種の定積分表と見なす文章も散見し[1]、これによって和算で放物線などの曲線の研究が始まったともされる[1]。関数の極値などの研究も行ったとされる。微分法におけるピエール・ド・フェルマーの方法を発見したとの文献もある[2]。
引用元: 和田寧 – Wikipedia.

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
和田寧 わだ-やすし

⇒わだ-ねい
和田寧 わだ-ねい

1787-1840 江戸時代後期の和算家。
天明7年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)三日月藩士。浪人となって江戸に出,日下誠(くさか-まこと)の門でまなぶ。のち芝増上寺の寺侍,京都土御門(つちみかど)家の算学棟梁(とうりょう)となった。円理表(定積分表)の完成者として知られ,関数の極値,異円なども研究。天保(てんぽう)11年9月18日死去。54歳。前名は香山政明。字(あざな)は子永。通称は直五郎,豊之進。号は算学,円象。
引用元: 和田寧(わだやすし)とは – コトバンク.

和田寧の「円理豁術」(えんりかつじゅつ)
>和算の最後の花を咲かせたのが和田寧(わだやすし)です。
>円理豁術の入門書として書かれた『円理蜃口(しんこう)』には、四分円の弧の長さを求める計算方法が記述されています。このサイトではその方法を、私たちに馴染みの現代数学の記号を使って紹介していきます。
引用元: 08. 和田寧の「円理豁術」 – Imujii's Page.

江戸時代は、1603年から1867年までのおよそ270年間をいいます。この間、偶然ではありますが、日本独自の数学である和算が江戸時代初頭に成立し、明治になった直後に西洋数学に置き換わります。和算の歴史はすなわち江戸時代の歴史と完全に一致した期間にまたがっていたのです。

最初に江戸時代初頭、すなわち1600年代から1660年代ぐらいまでの和算の状況を説明します。
>このそろばんの知識の普及に大きく貢献したのが、そろばんのマニュアルとして刊行された吉田光由(1598-1673)の『塵劫記』(1627年初版)でした。著者の吉田は京都の豪商・角倉一族の出自で、そろばんを若い頃から学んでいたと述べています。
引用元: 第1章 江戸時代初期 | 江戸の数学.

>さて、関は生涯に1つだけ著作を公刊しています。『発微算法』というもので、沢口一之の『古今算法記』の遺題15問に答えを与えたものです。関の著作はこれ以外にも多数残されていますが、代表的な『括要算法』は関の没後に弟子たちが刊行したものであり、『解伏題之法』などその他は刊行物ではなく、門人たちの間に手書きの写本として伝えられたものです。そしてその数学的内容は、当時考えられるだけの問題のほとんどを手がけたのではないかと思わせる程、多彩です。
>関には何人かの門人がいたことが知られています。『括要算法』の刊行に携わった荒木村英と、幕府の旗本で、後に徳川吉宗に重用されることになる建部賢弘(1664-1739)は、有名な二人です。
引用元: 第2章 関孝和 | 江戸の数学.