「偈箱」げばこ 普化宗「虚無僧」がさげる箱 「偈」経典の韻文 「天蓋」円筒形の深編笠

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虚無僧が胸にさげている
「明暗」と書かれた箱
偈箱
げばこ

早い者勝ち
楽器の尺八の流派を一つ選びなさい
○琴古流
○都山流
○上田流
×和泉流
×生田流
×武田流
×池坊
×草月流
×小笠原流

虚無僧(こむそう)とは、禅宗の一派である普化宗の僧のこと。
>托鉢の際には藍色または鼠色の無紋の服に、男帯を前に結び、腰に袋にいれた予備の尺八をつける。首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には「天蓋」と呼ばれる深編笠をかぶる。足には5枚重ねの草履を履き、手に尺八を持つ。
旅行時には藍色の綿服、脚袢、甲掛、わらじ履きとされた。なお、よく時代劇で用いられる「明暗」と書かれた偈箱(げばこ)は、明治末頃から見受けられるようになったもので、虚無僧の姿を真似た門付芸人が用いたものである(因みに「明暗」に宗教的な意味合いはなく、「私は明暗寺(みょうあんじ)の所属である」という程度の意味である)。江戸時代には、天皇家の裏紋である円に五三の桐の紋が入っており、「明暗」などと書かれてはいなかった。江戸期においても偽の虚無僧が横行していたが、偽虚無僧も皇室の裏紋を用いていたようである。
引用元: 虚無僧 – Wikipedia.

普化宗(ふけしゅう)は、日本の仏教の禅宗のひとつ。9世紀に中国で臨済義玄と交流のあった普化を始祖とするため、臨済宗(禅宗)の一派ともされる。普化は神異の僧であり、神仙的な逸事も多く、伝説的要素が強い。虚無宗(こむしゅう)とも言い[1]、虚鐸(尺八)を吹きながら旅をする虚無僧で有名。
>1249年(建長6年)日本から中国(南宋)に渡った心地覚心が、中国普化宗16代目孫張参の弟子である宝伏・国佐・理正・僧恕の4人の在家の居士を伴い、1254年に帰国することで、日本に伝わった。
引用元: 普化宗 – Wikipedia.

虚無僧(こむそう)は禅宗の一派である普化(ふけ)宗の僧をいう。普化宗は唐の普化禅師に始まるところで、我が国へは鎌倉時代、建長年間宝伏居士が来朝し、山城宇治の汲古庵に錫を駐め、伝道したのを最初とした。尺八を吹奏して托鉢する半僧、半俗の僧で、足利時代の「七十一番歌合せ」に出てくる虚無僧は暮露(ぼろ)と呼ばれた。
>明治4年10月28日に普化宗が廃止され、臨済宗に属せしめられるが、現在は臨済宗東福寺派山内の明暗寺に所属している。
 これは現在の装束に依ったものであるが、江戸後期の姿もほぼこの様式と思われる。即ち天蓋[藺笠]をかぶり、紺あるいは、黒又は白の小袖に帯を締め[この帯には規定がない]、大掛絡(くわら)[絡子(らくす)]を肩にかけて、胸に偈箱(げばこ)をつるす。偈とはこの場合尺八の譜のことであるが、箱には偈の他、布施等を入れ、白の手甲、脚絆に草鞋、あるいは草履、下駄等をはき、手には尺八、左手に数珠、また左の腰には袋に入れた替え笛を挿している。
引用元: 虚無僧 ・江戸時代・小袖の完成 日本服飾史 資料・風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界~.

偈(げ、gaathaa(sanskrit))とは、仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの。「偈陀(げだ)」「伽陀(かだ)」とも音写し、意訳して「偈頌(げじゅ)」という。
引用元: 偈 – Wikipedia.