「孝謙天皇」父は聖武天皇 女性天皇 重祚して称徳天皇へ 女性天皇初代「推古天皇」現在最後「後桜町天皇」

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第46代天皇
父は聖武天皇
史上初の女性皇太子
重祚して称徳天皇に
持統天皇
孝謙天皇(答)
元明天皇
推古天皇

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江戸時代の1762年に即位した
第117代天皇で、現在のところ
日本における最後の女帝なのは
◯◯◯天皇?
→後桜町

孝謙天皇(こうけんてんのう、養老2年(718年) – 神護景雲4年8月4日(770年8月28日))は、日本の第46代天皇(在位:天平勝宝元年7月2日(749年8月19日) – 天平宝字2年8月1日(758年9月7日))。父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后となった光明皇后(光明子)。史上6人目の女帝で、天武系からの最後の天皇である。即位前の名は阿倍内親王。生前に宝字称徳孝謙皇帝の尊号が贈られている。続日本紀では終始高野天皇と呼ばれており、ほかに高野姫天皇・倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)とも呼ばれたこともある。
淳仁天皇を経て重祚し、第48代称徳天皇(しょうとくてんのう、稱德天皇、在位:天平宝字8年10月9日(764年11月6日) – 神護景雲4年8月4日(770年8月28日))。
この称徳天皇以降は、江戸時代初期に即位した第109代明正天皇(在位:1629年 – 1643年)に至るまで、実に850余年もの間、女帝が立てられることはなかった。
引用元: 孝謙天皇 – Wikipedia.

女性天皇(じょせいてんのう)は、女性の天皇のこと。古くから女帝(漢音じょてい、呉音にょたい)と呼ばれていたが、皇位継承問題の議論が盛んとなった2004年以降、日本の公文書や報道では「女性天皇」の表現が用いられることが多くなった。
>日本では過去に8人10代の女性天皇が存在した。神功皇后や飯豊皇女を含め、彼女ら全員が男系女子(男系女性天皇)である。既婚の場合は皇后あるいは皇太子妃であり、その夫が亡くなったのちに践祚した。そのうちの6人8代は6世紀末から8世紀後半に集中している。
推古天皇(第33代、在位592年 – 628年) – 第29代欽明天皇の皇女、第30代敏達天皇の皇后
皇極天皇(第35代、在位642年 – 645年) – 敏達天皇の男系の曾孫、第34代舒明天皇の皇后
斉明天皇(第37代、在位655年 – 661年) – 皇極天皇の重祚
持統天皇(第41代、在位686年 – 697年) – 第38代天智天皇の皇女、第40代天武天皇の皇后
元明天皇(第43代、在位707年 – 715年) – 天智天皇の皇女、皇太子草壁皇子(天武天皇皇子)の妃
元正天皇(第44代、在位715年 – 724年) – 草壁皇子の娘、生涯独身
孝謙天皇(第46代、在位749年 – 758年) – 第45代聖武天皇の皇女、女性天皇の中で唯一皇太子からの践祚、生涯独身
称徳天皇(第48代、在位764年 – 770年) – 孝謙天皇の重祚
明正天皇(第109代、在位1629年 – 1643年) – 第108代後水尾天皇の皇女、生涯独身
後桜町天皇(第117代、在位1762年~1770年) – 第115代桜町天皇の皇女、生涯独身
引用元: 女性天皇 – Wikipedia.

重祚
ちょうそ

退位した天皇が重ねて践祚(せんそ)すること。645年(大化1)孝徳(こうとく)天皇に譲位した皇極(こうぎょく)天皇が、655年(斉明天皇1)孝徳天皇崩御の後を受けてふたたび即位し、斉明(さいめい)天皇となり、758年(天平宝字2)淳仁(じゅんにん)天皇に譲位した孝謙(こうけん)天皇が、764年淳仁天皇を廃して復位し、称徳(しょうとく)天皇となった二例が存する。前者は皇太子中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(天智(てんじ)天皇)の奏請によるものであり、後者は現帝と先帝との不和による政変で、ともに異常の例に属する。[橋本義彦]
引用元: 重祚(ジュウソ)とは – コトバンク.

践祚
せんそ

皇嗣(こうし)が天皇の位を継承すること。中国の古典には、新天子が宗廟(そうびょう)の階(そかい)(東方の階、主人が昇る)を践(ふ)んで昇り、祭りをつかさどったことがみえるが、そこからは天子の位をさすようになり、さらに祚とも書かれるようになった。先帝譲位と崩御の両方を含むのが本来の意味であり、古くは即位とも同義に用いられた。
>旧皇室典範では、「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承(う)ク」と規定されたが、現在の皇室典範には践祚の語は用いられていない。[杉本一樹]
引用元: 践祚(せんそ)とは – コトバンク.