「陳勝」「呉広」の乱 始皇帝死亡後の農民反乱 「王侯将相いずくんぞ種あらんや」

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秦の始皇帝が死んだ翌年に
大規模な農民反乱を率い
その乱に名を残す指導者を
1人答えなさい
ちんしょう 陳勝
ごこう 呉広
「陳勝・呉広の乱」

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紀元前3世紀、秦末に起こった陳勝・呉広の乱のスローガンとなった陳勝の言葉といえば○○○○○○○○○種あらんや?
王侯将相いずくんぞ
「王侯将相いずくんぞ種あらんや」

陳勝・呉広の乱(ちんしょう・ごこうのらん)は、中国秦末期に陳勝と呉広が起こした、史上初の農民反乱。
>紀元前210年に始皇帝が崩御すると、その末子である胡亥が兄の扶蘇を謀殺して即位した。 その元年となる紀元前209年の7月、陳勝と呉広は辺境守備のため、半ば強制的に徴兵された農民900名と共に、漁陽(現在の北京市北部の密雲県)へと向かっていた。しかしその道中、大沢郷(現在の安徽省宿州市の東南部)にさしかかったところで大雨に遭って道が水没し、期日までに漁陽へとたどり着く事が不可能になる。秦の法ではいかなる理由があろうとも期日までに到着しなければ斬首である。期日までに着けない、そう判断した時点で陳勝と呉広は反乱を決意し、将尉たちを殺そうと画策する。
引用元: 陳勝・呉広の乱 – Wikipedia.

中国、秦(しん)の二世皇帝元年(前210)7月、陳勝(陳渉ともいう。渉は字(あざな))と呉広が、北境防備のために徴発された900人の兵卒を率いて起こした反乱。中国史上初めての農民反乱であるとともに、秦帝国滅亡の端緒となった事件として重要である。
引用元: 陳勝・呉広の乱(ちんしょう・ごこうのらん)とは – コトバンク.

Episode 燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや
 陳勝は人に雇われて土地を耕す貧農であった。一緒に働いていた男に、「もし富農になってもおまえのことを忘れないぞ」といったが「貧農の身で何を言うんだ」と相手にされなかった。そこで陳勝は言ったのがこの言葉。「つばめやすすめのような小さな鳥にはおおとりの志がわかるものか」という意味であり、反骨精神を表す言葉として有名である。
王侯将相いずくんぞ種あらんや
 陳勝・呉広の乱の時に、陳勝が農民らに呼びかけた言葉。「国王や諸侯、将軍や丞相などといいてっても、そのような人種が最初からいたわけではない」という意味であり、身分や血統を否定して人間の平等を主張したもの。農民たちに秦帝国に対する反乱を扇動することばであったが、事実、春秋戦国時代を経て、かつての王族や貴族階級に代わって農民層が自立し始めたという社会的な変動をしめしている。陳勝・呉広の反乱は失敗するが、このような階級変動の波の中から登場したのが「農民皇帝」劉邦、つまり漢の高祖である。
引用元: 陳勝・呉広の乱.