「戦国時代の合戦と都道府県」長野県「川中島の戦い」滋賀県「姉川の戦い」静岡県「三方ヶ原の戦い」京都府「山崎の戦い」羽柴秀吉と明智光秀

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次のうち、1582年の
山崎の戦いに参加した
武将を1つ選びなさい
明智光秀(答)
浅井長政
柴田勝家
羽柴秀吉(答)
徳川家康
石田三成

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次のうち、豊臣秀吉が設置した
「五奉行」に含まれる戦国武将を
全て選びなさい
◯長束正家
×前田利家
×徳川家康
◯浅野長政
◯石田三成
◯増田長盛
◯前田玄以
×毛利輝元
×宇喜多秀家

麻の身なりの/ゲイに/なつかれました
(浅野長政(あさのながまさ)・石田三成(いしだみつなり))(前田玄以(まえだげんい))(長束正家(なつかまさいえ)・増田長盛(ましたながもり))

[句意]麻服の身なりのゲイになつかれました、という句。「増田」「長束」の読みには注意。なお当時は、「五奉行」の呼び名は無く、は「年寄共」などと呼ばれていた。
五奉行の覚え方 – 東海林直人のゴロテマ日本史
引用元:『五奉行』 石田三成「司法・一般行政」長束正家「知行・兵糧」前田玄以「公家・寺社」 浅野長政「文禄の役で軍監」 増田長盛 | わかればいいのに I wish I knew http://seethefun.net/%e6%96%87%e7%b3%bb%e5%ad%a6%e5%95%8f/2147/

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1570年に織田信長・徳川家康の
連合軍が浅井長政・朝倉義景の
連合軍を破った戦いがあった
場所はどこ?
(画像選択肢)
1の画像 1573「三方ヶ原の戦い」静岡県浜松市北区三方原町
2の画像 1553「川中島の戦い」長野県長野市南郊
3の画像(答)1570「姉川の戦い」滋賀県長浜市姉川河原
4の画像 1582「山崎の戦い」京都府乙訓郡大山崎町

姉川の戦い(あねがわのたたかい)は、戦国時代の元亀元年6月28日(1570年7月30日/グレゴリオ暦8月9日)に近江浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市野村町付近)で行われた合戦である。なお「姉川の戦い」という呼称は元々は徳川氏の呼び方であり、布陣した土地名から織田・浅井両氏の間では「野村合戦」、朝倉氏では「三田村合戦」と呼んだ。
引用元: 姉川の戦い – Wikipedia.

三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった、武田信玄軍2万7,000~4万3,000人と徳川家康、織田信長からの連合軍1万1,000~2万8,000人との間で行われた戦い。
信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり、家康が大敗したことで有名な戦である。
引用元: 三方ヶ原の戦い – Wikipedia.

川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)は、日本の戦国時代に、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いをいう。最大の激戦となった第四次の戦いが千曲川と犀川が合流する三角状の平坦地である川中島(現在の長野県長野市南郊)を中心に行われたことから、その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の戦いと呼ばれる。
引用元: 川中島の戦い – Wikipedia.

山崎の戦い(やまざきのたたかい)は、天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変を受け、備中高松城の攻城戦から引き返してきた羽柴秀吉軍が、6月13日(西暦7月2日)に摂津国と山城国の境に位置する山崎(大阪府三島郡島本町山崎、京都府乙訓郡大山崎町)において、織田信長を討った明智光秀の軍勢と激突した戦い。
引用元: 山崎の戦い – Wikipedia.