「1479スペイン王国の成立国」アラゴン王国(フェルナンド王子)・カスティリヤ王国(イザベル女王) ×カタルーニャ王国

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次のうち、1479年に合併し
スペイン王国を成した国を
全て選びなさい
アラゴン王国(答)
カタルーニャ王国
グラナダ王国
カスティリヤ王国(答)

1479年 アラゴン王国とカスティリヤ王国が合同してスペイン王国が成立。レコンキスタ(国土回復運動)を推進し、1492年にグラナダのナスル朝を滅ぼして完了した。同年、スペイン王国の派遣したコロンブスが新大陸に到達した。
> レコンキスタを推し進めたキリスト教国カスティーリャ王国とアラゴン王国が1479年に合同したところから始まる。1479年、アラゴン王国の王子フェルナンドが即位し、その妻(1469年に結婚)イサベル女王のカスティリャ王国と合同してスペイン王国となった。「イサベルとフェルナンドは同権」の王として二人で統治した(スペイン王としてはイサベル2世・フェルナンド5世と称した)。またこのふたりを「カトリック両王」という。
引用元: イスパニア/スペイン王国.

アラゴン王国(アラゴンおうこく、アラゴン語:Reino d’Aragón カタルーニャ語:Regne d’Aragó スペイン語:Reino de Aragón)は、中世後期のイベリア半島北東部、現在のスペインのアラゴン州に存在した王国。
>1469年、アラゴン王太子フェルナンド(後のフェルナンド2世)がカスティーリャ王女イサベル(後のイサベル1世)と結婚し、1479年にはアラゴン王国とカスティーリャ=レオン王国の同君連合が形成された。いわゆるスペイン王国(Monarquía Española)の成立である。
引用元: アラゴン王国 – Wikipedia.

カタルーニャ君主国またはカタルーニャ公国(カタルーニャ語: Principat de Catalunya, アラン語: Principautat de Catalonha, アラゴン語: Prencipato de Catalunya, スペイン語: Principado de Cataluña, フランス語: Principauté de Catalogne, ラテン語: Principatus Cathaloniae)は、イベリア半島北東部にかつて存在した国家。現在は大半がスペインのカタルーニャ州に属し、一部がフランス南部ピレネー=オリアンタル県となっている。「君主国」ないし「公国」という呼称については後述する。
引用元: カタルーニャ君主国 – Wikipedia.

グラナダ王国は、グラナダを首都とした王国。ナスル朝グラナダ王国を指すことが多い。後ウマイヤ朝が衰えた11世紀始めにズィール朝の一族がこの地を征服し、1013年にタイファ諸国の1つであるグラナダ王国として独立した。しかし、11世紀にムラービト朝に、12世紀にムワッヒド朝に征服された。1232年、ムハンマド1世がナスル朝グラナダ王国を建国した。ナスル朝グラナダ王国は、イベリア半島における最後のイスラム王朝として約250年間存続し繁栄した。カスティーリャ王国とアラゴン王国の連合王国によって1492年1月2日にグラナダ王国は滅亡した。
引用元: グラナダ王国 – Wikipedia.

カスティーリャ王国(カスティーリャおうこく、スペイン語: Reino de Castilla)は、中世ヨーロッパ、イベリア半島中央部にあった王国である。キリスト教国によるレコンキスタ(国土回復運動)において主導的役割を果たし、後のスペイン王国の中核となった。
引用元: カスティーリャ王国 – Wikipedia.