「イドリース朝」788モロッコ・首都フェズ「サーマーン朝」873イラン東部・首都ブハーラ 「ムワッヒド朝」1130モロッコ・首都マラケシュ『ナバス・デ・トロサの戦い』 「サファヴィー朝」タブリーズ・イスファハーン・カズヴィーン

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788年に現在のモロッコに
成立した、フェズを首都
としたイスラム王朝の名前は
◯◯◯◯◯朝?
サラリビス
イーマロド
アドーヒト
イドリース(答)
「イドリース朝」

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873年に現在のイラン東部に
成立した、ブハーラーを首都
としたイスラム王朝は
◯◯◯◯◯朝?
イドマビス
ムラリヒド
アワッート
サーマーン(答)
「サーマーン朝」


1130年に首都をマラケシュに置いたモロッコの王朝は○○○○○朝?
ムワッヒド(答)
「ムワッヒド朝」

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1212年にキリスト教連合軍が
ムワッヒド朝率いるイスラム軍を
破った戦いは
○○○○○○○○○の戦い?
・ロサト・バナデス
→ナバス・デ・トロサ
「ナバス・デ・トロサの戦い」

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次のうち、16~18世紀の
イランに存在したイスラム王朝
「サファヴィー朝」の首都に
なった都市を全て選びなさい
タブリーズ(答)
イスファハーン(答)
カズヴィーン(答)
×ダマスクス
×サマルカンド
×アルマリク

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ティムール帝国の首都として繁栄したこの都市は?
(画像出題)
サマルカンド

ここの画像?
引用元: レギスタン広場.
>左側にウルグベク・メドレセ(1420年に完成)、右側にシェルドル・メドレセ(1636年に完成)、
そして中央がティラカリ・メドレセ(1660年に完成)です。
サマルカンドにやってきて、ここを訪れない人はいないんでしょうね。

イスラム世界の歴史 5 ファーティマ朝、ブワイフ朝、セルジューク朝、アイユーブ朝ほか
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引用元:イスラム世界の歴史 5 ファーティマ朝、ブワイフ朝、セルジューク朝、アイユーブ朝ほか / 世界史 by ピアソラ |マナペディア| http://manapedia.jp/text/1823

イドリース朝
イドリースちょう
Idrīs

アリーの子孫であるイドリース1世 (在位 789~793) がモロッコに建てたシーア派のイスラム王朝 (789~926) 。首都はフェス。イドリース2世 (在位 793~828) の治世末までが黄金期で,その後は兄弟間で帝国が分割されたために衰え,926年ファーティマ朝の軍隊に滅ぼされた。
引用元:イドリース朝(イドリースちょう)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%9C%9D-31763

8世紀末、アッバース朝から自立しモロッコに成立した最初のシーア派国家。

第4代カリフのアリーとその妻のムハンマドの娘ファーティマの血を引くというイドリース=イブン=アブドゥッラーが、メディナでアッバース朝のカリフのハールーン=アッラシードに対する反乱を起こして失敗し、西に逃れてマグリブ地方の西端のモロッコに渡り、その地のベルベル人の支持を受けて、789年にイドリース1世として建国した。従ってイドリース朝は、史上最初のシーア派の国家とされるが、この段階ではシーア派としての特色を持ってはいなかった。イドリース1世は都のフェスを建設、ベルベル人の女性との間に生まれたイドリース2世は周辺に領域を広げ、実質的なモロッコ最初の王となった。
引用元:イドリース朝 http://www.y-history.net/appendix/wh0501-059_3.html

《Sāmān》875年にナスル1世がアッバース朝から独立して創始したイランの王朝。中央アジアとイラン東部を支配したが、カラハン朝の侵入によって999年に滅亡。
引用元: サーマーン朝(サーマーンチョウ)とは – コトバンク.

またサーマーン朝は古来のイラン文化とイスラーム文化を融合させイラン=イスラーム文化を創出したことが重要で、首都ブハラで従来のソグド文字などに代わり、アラブ文字を用いた新しいペルシア語が発達し、詩人のルダキーやハディースの編纂で知られるブハーリーが活躍した。イスラーム文化を代表するイブン=シーナーは、サーマーン朝時代のブハラで生まれたイラン人である。首都ブハラはイスラーム神学や法学の中心地として栄えていく。またサマルカンド、メルヴが商業都市として繁栄した。10世紀中頃から衰え、999年に東方から移動してきたトルコ系カラ=ハン朝によって滅ぼされた。
引用元: サーマーン朝.