2021【生誕200年】

幕末に生糸貿易で成功すると株の
取引にも成功し、東京馬車鉄道、
東京電灯を傘下に収めた、甲府市
の初代市長を務めた実業家は?
若見幸明村
平逸忠田尾
若尾逸平(答)
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若尾 逸平(わかお いっぺい、文政3年12月6日(1821年1月9日) – 大正2年(1913年)9月7日)は日本の実業家・銀行家・政治家。貴族院議員、初代甲府市市長。従六位。

根津嘉一郎・雨宮敬次郎らとともに、郷土意識で緩やかな資本連合を持ち、中央経済界で影響力を持った甲州財閥と呼ばれるグループのひとりで、若尾家はその中核にあたる。

若尾は「株を買うなら『明かり』と『乗り物』である」という考えを持つようになる[5]。1892年(明治25年)にまず東京馬車鉄道を、次いで1895年に東京電燈(後の東京電力)を買収しこれを傘下に収めるなど、公共事業に参入する。また、山梨県内においても明治23年には釜無川に開国橋を架けて郷里である西郡地域の交通基盤整備を行い、駒橋発電所の建設や開国橋の建設費寄付、実現には至らなかったが荒川上流での発電所建設計画などの社会貢献も行う。

一方で若尾は県政にも進出し、1889年(明治22年)には市制施行された甲府市の初代市長に任命される。翌1890年には貴族院多額納税者議員互選規則が公布され、同年9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ[6]、山梨県初の貴族院議員となる。この時の直接国税納付額は議員中3位というものだった。貴族院議員としては鉄道敷設法の成立に尽力し、結果中央線の開通に貢献している。
引用元:若尾逸平 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E5%B0%BE%E9%80%B8%E5%B9%B3

甲州財閥(こうしゅうざいばつ)とは、明治期の東京や横浜で顕著な経済活動を行っていた甲州(山梨県)出身の実業家たちのことで、著名な人物は、若尾逸平、若尾幾造、若尾璋八、雨宮敬次郎、根津嘉一郎、小野金六、穴水要七、小池国三、佐竹作太郎、神戸挙一、堀内良平である[1]。その中でも若尾逸平と雨宮敬次郎は二大巨頭と言われている[2]。甲州財閥の実業家たちは協力し合うこともあったが、対立することもあった[2]。例えば、雨宮敬次郎は1893年10月に東京市街鉄道の設立を申請しているが、若尾逸平は翌11月に東京馬車鉄道の電化を申請しており、東京市街の鉄道(路面電車)において二人は対立していた[3]。
引用元:甲州財閥 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%B7%9E%E8%B2%A1%E9%96%A5

雨宮 敬次郎(あめのみや けいじろう[1]、あめみや けいじろう、弘化3年9月5日(1846年10月24日) – 1911年(明治44年)1月20日)は日本の実業家・投資家。「天下の雨敬」「投機界の魔王」と呼ばれた。

結束して商売にあたった甲州商人、いわゆる「甲州財閥」と呼ばれる集団の一人である。
引用元:雨宮敬次郎 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E5%AE%AE%E6%95%AC%E6%AC%A1%E9%83%8E