丁子屋

松尾芭蕉が旅に出る河合乙州へ
詠んだ有名な句は「梅若葉
丸子の宿の◯◯◯◯」?
ひらがな5文字で答えなさい
とろろじる(答)
39%

山芋やつくね芋を皮に
練り込んだ和菓子は◯◯饅頭?
薯蕷
しょよ(答)
じょうよ(答)
27%

引用元:【青森県平川市】碇ケ関久吉蕷(いも)ケ平【とろろいも】薯蕷藷 https://seethefun.net/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB/59959/

鞠子宿(まりこしゅく、まりこじゅく)は、東海道五十三次の20番目の宿場である。丸子宿とも書く。現在の静岡県静岡市駿河区丸子で、最寄り駅は東海道線安倍川駅。

名物はとろろ汁である[2]。広重の鞠子宿の浮世絵はクロード・モネの連作「積みわら」に構図やグラデーションの使い方など影響を与えた。また、松尾芭蕉も「梅若葉丸子の宿のとろろ汁」という句を詠んでいる(「猿蓑」)ほか、十返舎一九は『東海道中膝栗毛』の丸子のシーンでとろろ汁を作中に取り入れている。
引用元:鞠子宿 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%A0%E5%AD%90%E5%AE%BF

河合 乙州(かわい おとくに、生没年不詳)は、江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。近江国の人。俳人河合智月(智月尼)の弟で姉の養子となった。

天和年間(1681年-1684年)に江左尚白に入門し、天和3年(1683年)尚白の『歳旦帖』に初めて1句が取り上げられ、貞享4年(1687年)に尚白の選集『弧松(ひとつまつ)』に107句入集、元禄2年(1689年)家業により加賀金沢に滞在中『奥の細道』旅中の松尾芭蕉と邂逅した[1]。同年12月芭蕉を大津の自邸に招待し、以降上方滞在中の芭蕉を度々招き、また義仲寺の無名庵や幻住庵に滞在中の芭蕉の暮らしを姉智月尼と共に世話をした[1]。乙州は芭蕉晩期に提唱する『軽み』をよく理解していた門人の一人とされ、家業による旅が蕉風の良き伝播者ともなった。

蕉門における乙州の立場は今で言う事務局長的役割を勤め、芭蕉からは厚い信頼を得、芭蕉の『自画像』や『笈の小文』関係の草稿が贈られた[1]。元禄7年10月12日(1694年11月28日)に芭蕉逝去に際しては看取り、葬儀万端の準備を行い、姉智月と乙州の妻荷月が芭蕉の浄着を縫った[4]。

芭蕉死去後、芭蕉の意を汲み宝永6年(1709年)『笈の小文』を刊行し、正徳5年(1715年)に随筆『それぞれ草』を刊行した[1]。
引用元:河合乙州 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%90%88%E4%B9%99%E5%B7%9E