アクスム王国

エチオピア初の統一王朝は
クシュ王国である
×(答)
48%

アフリカ大陸で作られた
最後のピラミッド群で有名な
メロエ遺跡がある国はどこ?
エチオピア

スーダン(答)
マリ
ニジェール
39%

引用元:【クシュ王国】 https://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/52950/

エチオピア(1) アクスム王国時代
古代のエチオピア高原には、紀元前後から7世紀ごろまでアクスム王国が栄え、エジプトのコプト教会から東方系キリスト教を受容し、一時はアラビア半島まで支配した。

 アフリカ大陸の北東部のナイル川上流地帯に広がる広大なエチオピア高原(アビシニアともいう)は、現在のところ、前250年頃の最も古い道具である礫石器が見つかっており、アフリカに登場したホモ=サピエンスが旧石器文化を獲得した最初がエチオピアの地であった可能性がある。
 文明の段階になると、早くからエジプト文明の影響も受けていたと考えられるが、紀元前後のアクスム王国以来、独自の文化を継承し、独立を維持(もちろん紆余曲折はあるが)し、現代まで続いている。伝説では「シバの女王の国」といわれ、アラビア半島との関係が強い。
引用元:エチオピア https://www.y-history.net/appendix/wh0503-022_1.html

エチオピア連邦民主共和国(エチオピアれんぽうみんしゅきょうわこく、アムハラ語: የኢትዮጵያ ፈደራላዊ ዲሞክራሲያዊ ሪፐብሊክ)、通称エチオピアは、東アフリカに位置する連邦共和制国家。首都はアディスアベバ。

東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北西をスーダン、北をエリトリア、北東をジブチに囲まれた内陸国。隣国エリトリアは1991年にエチオピアから分離した国家である。

アフリカ最古の独立国および現存する世界最古の独立国の一つ[3]である。伝説では、ソロモン王とシバの女王の子供であるメネリク1世により建国されたとされており、ソロモン王朝は日本の皇室と並んで世界最長級の歴史を誇ると言われていたが、社会主義革命によって廃されてしまった。

人口は約1億800万人(2020年7月推定[1])で、アフリカ州では、約2億人を抱えるナイジェリアに次いで二番目に人口の多い国である。3位にはエジプト(約1億人)、4位のコンゴ民主共和国(約9千万人)とつづく。

古代・中世

ギリシャ語が刻まれたアクスム王国の通貨
エチオピアには元々ネグロイドの先住民が住んでいたが、イエメンのサバ王国から住民も少数移住し、ソロモン王とサバの女王の血筋を受け継ぐと称するアクスム王国(100年–940年)が、紅海沿岸の港町アドゥリス(英語版)(現在のエリトリアのマッサワ近郊)を通じた貿易で繁栄した。3世紀のものと思われるアクスムの戦勝碑には、ゼウス、ポセイドーン、アレースなど、ギリシャの神の名が見られる。この事から、この時代のエチオピアは、ギリシャやローマなど、地中海世界の影響を強く受けていたと考えられている[4]。
引用元:エチオピア – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%81%E3%82%AA%E3%83%94%E3%82%A2

クシュ王国/メロエ王国/メロエ文字
クシュ王国はナイル上流にあった黒人最古の王国。前8世紀、エジプトを支配しファラオを称したが、前6世紀にアッシリアの侵攻を受け後退し、メロエ王国となった。

クシュ王国

 クシュはアフリカのナイル川の上流、現在のスーダン(古代ではヌビアとも言われた)にあたる。ここにアフリカの黒人最古の王国が成立した。およそ紀元前10世紀の頃、エジプト文明の影響を受けて成立したものと思われる。はじめはナパタを都として栄え、エジプト新王国時代にはその征服を受けたが、前8世紀頃は勢いを盛り返し、エジプト末期王朝の時期にはエジプト全土をを支配(第25王朝)しファラオを称したこともある。しかし、前671年にアッシリアがエジプトに侵入しすると、それに押されてナイル上流に後退した。さらに上流域に移動し、前540年頃、都を南のメロエに定め、これ以降をメロエ王国とも言う。
引用元:クシュ王国/メロエ王国/メロエ文字 https://www.y-history.net/appendix/wh0503-020.html