第8代【蓮如】本願寺中興の祖

実の姉は武田信玄の正室になった
本願寺の第11世門主で、石山本願
寺を拠点に織田信長と長きに渡る
争いを繰り広げたのは?
顕如
蓮鸞
親念
顕如(答)
85%

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1570年に始まる石山合戦の
舞台となったのは
石山寺である
×(答)

1570年に始まる石山合戦の
舞台となったのは
石山本願寺である
◯(答)
引用元:石山本願寺 1570「石山合戦」の舞台 織田信長と浄土真宗本願寺勢力 https://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/10223/

顕如(読み)けんにょ

[生]天文12(1543).大坂,石山
[没]文禄1(1592).11.24. 京都
安土桃山時代の一向宗の僧。本願寺 11世。同 10世証如の長子。名は光佐。天文 23 (1554) 年,証如の跡を継いで宗主となり,永禄2 (59) 年門跡に列せられ,本願寺に坊官をおき,院家の制を設けた。元亀1 (70) 年西国経略途上の織田信長と衝突し,以後 10年間にわたり,一向一揆を組織して交戦したが,天正8 (80) 年,正親町 (おおぎまち) 天皇の仲裁で和し,石山を退去し,紀伊鷺森,和泉貝塚へと移り,同 13年大坂に帰った。同 19年豊臣秀吉に京都堀河の地を与えられ,この間大僧正に補任され,本願寺の基礎を確立した。その子教如,准如のとき東,西両本願寺が成立した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
引用元:顕如とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%A1%95%E5%A6%82-60986

顕如(けんにょ、正字体:顯如)は、戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第11世宗主[要出典]、真宗大谷派第11代門首[要出典]。石山本願寺住職[要出典]。

顕如は号で、諱は光佐(こうさ)、法主を務めた寺号「本願寺」を冠して本願寺光佐(ほんがんじ こうさ)とも呼ばれる。院号は信楽院(しんぎょういん、正字体:信樂院)。法印大僧正、准三宮。父は第10世宗主の証如、関白内大臣・九条稙通の猶子。室は左大臣・三条公頼三女の如春尼。長男に真宗大谷派第12代門首の教如、次男に真宗興正派第17世門主の顕尊、三男に浄土真宗本願寺派第12世宗主の准如がいる。

宗教者でありながら武装した僧侶や信徒と共に、神仏の冒涜を繰り返した織田信長を敵とみなし、全国の本願寺門徒に信長打倒を呼びかけて、天下統一を目前で阻止した。軍事的にも経済的にも圧倒的に有利な織田軍相手に、調略を巡らせて信長包囲網を築き10年以上にわたって激しい攻防を繰り広げたことで知られる。
引用元:顕如 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%95%E5%A6%82

日本史の顕如と蓮如がそれぞれ何をしたのか教えてください!

蓮如は本願寺第八世です。
本願寺が延暦寺の末寺まで落ち、延暦寺により弾圧されていたのを再興し現在の基を作った人物です。

顕如は本願寺第十一世です。
全国の一向一揆を指示しました。
織田信長に対抗し石山合戦と呼ばれる約十年に及ぶ合戦を指揮しました。
引用元:日本史の顕如と蓮如がそれぞれ何をしたのか教えてください! – 蓮如は… – Yahoo!知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1476717944

蓮如(れんにょ)は、室町時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第8世宗主・真宗大谷派第8代門首。大谷本願寺住職。諱は兼壽。院号は信證院。法印権大僧都。本願寺中興の祖。同宗旨[3]では、蓮如上人と尊称される。1882年(明治15年)に、明治天皇より慧燈大師の諡号を追贈されている。しばしば本願寺蓮如と呼ばれる。文献によっては「蓮如」と「辶 」(二点之繞)で表記される場合がある。真宗大谷派では「蓮如」と表記するのが正式である[4] 。父は第7世存如。公家の広橋兼郷の猶子。第9世実如は5男。

親鸞の嫡流とはいえ蓮如が生まれた時の本願寺は、青蓮院の末寺に過ぎなかった。他宗や浄土真宗他派、特に佛光寺教団の興隆に対し、衰退の極みにあった。その本願寺を再興し、現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築いたことから、「本願寺中興の祖」と呼ばれる。
引用元:蓮如 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E5%A6%82

[生]応永22 (1415).2.25. 京都
[没]明応8 (1499).3.25. 山科
室町時代の浄土真宗中興の祖。本願寺第8世。第7世存如とその召使の女性との間に生まれ,幼名は布袋丸。17歳のとき青蓮院尊応の室に入り,次いで大谷の草庵で宗義をきわめ,文安4(1447)年に関東に下り,親鸞の遺跡を巡拝した。長禄1(1457)年に本願寺の宗統を継ぎ,門徒の教化に努め,日常語で宗学の要を説いた。精力的かつ現実に対応するやわらかい頭脳と,人間的魅力によって教化に成功し,教団を拡大した。東北各地の旅ののち文明3(1471)年に越前の吉崎に道場を設け,北陸の教化に努めた。明応5(1496)年大坂に石山別院を営んだ。1882年に慧燈大師と勅諡された。著書『正信偈大意』『御文(御文章)』『領解文』など。蓮如の教示の文章を東本願寺では「おふみ」と呼び,西本願寺では「ごぶんしょう」と呼ぶ。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
引用元:蓮如とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E8%93%AE%E5%A6%82-152224