【冤罪事件】加藤老事件、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件

1913年の殺人事件の犯人として
逮捕されるも、1963年に無罪判決
を勝ち取り「昭和の岩窟王」と
呼ばれた人物は?
孝郎田吉岡
蔵石博松一
吉田石松(答)
13%

吉田岩窟王事件(よしだがんくつおうじけん)は、大正時代に発生した強盗殺人事件。事件は名古屋の小売商が殺されたものであったが、殺人事件そのものよりも、被疑者の虚偽の供述から主犯とされた吉田石松が冤罪を訴え、事件発生から半世紀後に再審で無罪を勝ち取った事件として言及されることが多く、この冤罪事件を指し示すことが一般的である。冤罪事件としては、日本弁護士連合会が支援していた。 

なお、本項の事件名は一般的に知られた通称の一つであり、他に昭和の岩窟王事件、日本岩窟王事件、吉田翁事件、吉田石松老事件など複数の名称で呼ばれる。岩窟王とは、後述するように黒岩涙香の翻案小説『巌窟王』に由来する(原作はデュマの小説『モンテ・クリスト伯』)。

無罪判決[編集]
1963年(昭和38年)2月28日、名古屋高等裁判所第4部(裁判長小林登一、陪席裁判官成田薫、斎藤寿)は、吉田のアリバイが成立することを認め、無罪判決を言い渡した(高等裁判所刑事判例集16巻1号88頁、判例時報327号4頁)。この判決の冒頭では、以下のように本件の経緯について説示している。

「……しかしてこの間の、実に半世紀にも及ぶその無実の叫びに耳を藉(か)す者からは、被告人はエドモンド・ダンテスになぞらえられ、昭和の巖窟王と呼ばれるにいたつたのである。」
また、判決文の最後では、冤罪に対する謝罪が行われた。有罪判決は旧刑事訴訟法で行われたが、法手続上は合法であるため、人道上の観点から裁判所が謝罪するのは異例であった。判決文は「被告人」ではなく「吉田翁」として問いかけるもので、以下のように締めくくられている。
引用元:吉田岩窟王事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%B2%A9%E7%AA%9F%E7%8E%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6

20世紀日本人名事典の解説
大正・昭和期の冤罪服役囚 吉田がんくつ王事件の被告。

吉田 石松(読み)ヨシダ イシマツ

生年明治12(1879)年5月10日
没年昭和38(1963)年12月1日
出生地福井県
経歴大正2年8月名古屋市でガラス工場に勤めていたが、同市で繭商人戸田亀太郎が殺され1円20銭が奪われた事件において、翌日犯人として逮捕された2人の男の証言により、主犯として逮捕された。厳しい拷問にも終始否認し続け、翌3年4月名古屋地裁での死刑判決に対しては控訴。同年11月最終審で、無期懲役が確定し服役する。その後、獄中から再審請求や請願を続け、昭和12年には仮出所で2人の犯人からとった偽証をわびる証文もつけたが無効。戦後、5度目の再審請求で37年にようやく再審開始が決定。38年2月名古屋高裁の小林登一裁判長は「先輩が翁に対して犯した過誤を陳謝する」と無罪判決を下して過ちをわびた。ここに無実の罪は50年ぶりで晴らされ、再審制度見直しの契機が作られた。“昭和のがんくつ王”と呼ばれ、判決のわずか9カ月後に他界。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)
引用元:吉田 石松とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%90%89%E7%94%B0%20%E7%9F%B3%E6%9D%BE-1658332

加藤老事件(かとうろうじけん)とは、1915年(大正4年)に発生した強盗殺人事件で被疑者の虚偽の供述により共犯とされた男性に、事件発生から62年後に再審無罪が言い渡された冤罪事件である。日本弁護士連合会が支援していた。

服役後[編集]
Xは1918年に三池刑務所で獄死。加藤は模範囚として久留米少年刑務所(現在の佐賀少年刑務所)で職業訓練を指導し、服役から14年後の1930年(昭和5年)に仮出所した。

その後、加藤は1963年の吉田岩窟王事件の再審無罪を聞き、同年から1974年までに独力で[5]5度にわたる再審請求を行ったが、全て棄却された。1972年には日本弁護士連合会(日弁連)が事件調査に乗り出したこともあったが、新事実の発見は困難であるとして支援は断念された[6]。しかし1975年の白鳥決定を経て日弁連は支援を再開、物証の再鑑定と精神鑑定の結果を踏まえ翌年9月に広島高裁は第6次再審請求を受理、再審を開始した。なお、第6次再審請求において凶器とされていた藁切り刀の再鑑定を行った上野正吉東京大学名誉教授は、遺体の傷は藁切り刀とは一致しないと結論付けるとともに、今まで1度も法医学的な再鑑定が行われなかったのは弁護士の怠慢であると指摘している[7]。

1977年7月7日、干場義秋裁判長は、共犯者の供述は信用し得ず全ての物証に証拠価値はない、として加藤に無罪を言い渡した。事件発生から62年後の無罪判決は日本の司法史上最長である。

その後、加藤は国家賠償請求訴訟を起こすも、その最中の1980年4月29日に89歳で死去した。訴訟はその後も続けられたが、裁判官の過失が否定されるなどして同年7月15日に請求は棄却された[8]。
引用元:加藤老事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E8%80%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6

免田事件(めんだじけん)とは1948年(昭和23年)12月30日に熊本県人吉市で起こった殺人事件であるとともに、同事件の被疑者に死刑判決が下されたのち、再審で無罪が確定した冤罪事件でもある。四大死刑冤罪事件のひとつ(他の3つは財田川事件、松山事件、島田事件)。日本弁護士連合会が支援していた。
引用元:免田事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%8D%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

財田川事件(さいたがわじけん)は、1950年(昭和25年)2月28日に起きた強盗殺人(刺殺)事件とそれに伴った冤罪事件である。四大死刑冤罪事件の一つ(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)。日本弁護士連合会が支援していた。 なお、地名の「財田」ではなく川の「財田川」と呼称する由来は、1972年に再審請求を棄却した裁判所の文言で越智伝判事が「財田川よ、心あらば真実を教えて欲しい」と表現したことである[1]。
引用元:財田川事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E7%94%B0%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

松山事件(まつやまじけん)は、1955年(昭和30年)10月18日に、宮城県志田郡松山町(現大崎市)にて発生した放火殺人事件と、それに伴った冤罪事件である。四大死刑冤罪事件の一つ(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)。日本弁護士連合会が支援していた。
引用元:松山事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

島田事件(しまだじけん)とは1954年(昭和29年)3月10日に静岡県島田市で発生した幼女誘拐殺人、殺人死体遺棄事件である。被告人が死刑の確定判決を受けたが、1989年に再審で無罪になった冤罪事件[1]。四大死刑冤罪事件の一つ(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)。日本弁護士連合会が支援していた。
引用元:島田事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

裁判では、全ての証拠が検証され、公正に審理されることが大前提だ。だが、現実は違う。警察や検察による証拠隠しは、多くの冤罪事件で繰り返し明らかになっている。

「これで証拠は全部です」。95年開始の第1次再審請求で、鹿児島地検は弁護団に明言した。2010年、第2次再審請求でも地検は「警察にも問い合わせたけれど、もうありません」と弁護団に公式回答した。しかし、13年に福岡高裁宮崎支部が「証拠の存否を調査して開示せよ」と勧告すると、地検は200点以上の未開示証拠を出してきた。第3次請求でも新たな証拠が見つかった。

 同事件の弁護団事務局長である鴨志田祐美弁護士は「検察が無罪方向の証拠を進んで出すことはまずない。どの再審でも隠れていた証拠が後から出てくる」と批判する。

 「戦後最大の冤罪(えんざい)事件」と呼ばれる松川事件(49年)では、5人が死刑判決を受けたが、検察官が5人のアリバイを示す証拠を隠していたことが判明し、全員無罪となった。布川事件(67年)や東電OL殺人事件(97年)などでも、いずれも無罪を示唆する証拠が捜査機関の手元に秘められていた。警察と検察による「証拠隠し」は半世紀以上続いている。

「戦後最大の冤罪(えんざい)事件」と呼ばれる松川事件(49年)では、5人が死刑判決を受けたが、検察官が5人のアリバイを示す証拠を隠していたことが判明し、全員無罪となった。布川事件(67年)や東電OL殺人事件(97年)などでも、いずれも無罪を示唆する証拠が捜査機関の手元に秘められていた。警察と検察による「証拠隠し」は半世紀以上続いている。

 なぜ、重要な証拠が隠されるのか。実は、刑事裁判では全ての証拠を吟味するわけではない。日本では4年前まで、証拠は警察と検察が独占し、弁護側は逮捕から裁判が終わるまで、どんな証拠があるか全てを把握できなかった。

■「法律がない限り、検察は全証拠を出さない」

 証拠を扱う検事の心理について、検察OBの市川寛弁護士は「仮に有罪方向の証拠が全体の8割を占めていても『弁護士に見せると2割の不利な証拠を、3割、4割と盛られ、裁判官もだまされかねない』と感じる」と証言する。検察は有利な証拠を選別し、有罪立証を進めてきた。

 しかし、2016年5月に度重なる冤罪事件を受けて改正された刑事訴訟法で、起訴後は検察側が証拠の一覧表を示すことが義務づけられ、弁護側が証拠開示請求をすれば、内容が確認できるようになった。

 ただ、現在も再審には証拠開示に関する法律が存在せず、裁判官の裁量に委ねられているのが現状だ。今回、西山さんに有利な証拠が開示されたのも、再審公判に向けた三者協議中に裁判官が検事に対し、「証拠開示には柔軟な対応を」と促したことが影響したとみられる。市川弁護士は「法律で決まらない限り、検察が全ての証拠を出すことはない」と断言する。
引用元:無罪示唆の「爆弾証拠」、滋賀県警は15年間も隠していた 冤罪生み出した「黒い正義」~湖東記念病院再審から考える|社会|地域のニュース|京都新聞(4/4) https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/209539?page=4

日本弁護士連合会が支援する再審事件(にほんべんごしれんごうかいがしえんするさいしんじけん)は、日本弁護士連合会が一定の基準の下に支援する再審事件の一覧である。

日本弁護士連合会は、基本的人権を著しく侵害するもののひとつが冤罪事件であることに鑑み、次の基準を満たした事件を、人権侵犯事件として特に支援することとしている[1]。

冤罪事件である可能性がある
無罪等を言い渡すべき明らかな新証拠を入手する可能性がある
日弁連がその救済に取り組むべき相当性、必要性がある
なお、日本弁護士連合会が支援する再審事件が、冤罪ではなく確定判決の内容通り有罪だったと社会的に認知される形で支援を取り下げた例は一度もない。
引用元:日本弁護士連合会が支援する再審事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB%E9%80%A3%E5%90%88%E4%BC%9A%E3%81%8C%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%81%99%E3%82%8B%E5%86%8D%E5%AF%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

日本弁護士連合会
第62回人権擁護大会シンポジウム
第3分科会基調報告書
えん罪被害救済へ向けて
今こそ再審法の改正を
2019 年10 月3 日(木)

は じ め に
 「えん罪被害者となること勿れ」は,権力に抗しえん罪被害者の救済に全力を挙げて取り組んできた我々先達の述懐である。もとより,人は好んでえん罪の被害者になるのではない。官憲が暴走し,司法もそれを正さず,生涯をかけ世紀をまたいで雪冤の闘いを続けた人々がいたし,今もえん罪に呻吟する人々が続いている。
 袴田巌氏をはじめ死刑判決を受けた人々の闘いは文字どおり命がけである。
 えん罪は最大の人権侵害であり,個人の尊厳と人権保障手続を詳細に規定する日本国憲法の下ではあってはならないことである。したがって一旦えん罪が発生すれば、その被害者は速やかに救済されなければならないはずである。
 しかし,現在,えん罪被害者が速やかに,かつ確実に救済される手続的保障はない。
 加えて,無実の証拠が隠され,あろうことか偽りの証拠を捏造したり,捜査過程を歪めて記述し,あるいは証言したりする捜査官(警察官・検察官)すら現れている。
 雪冤のためには,弁護人の努力もさることながら,えん罪を防止しようとする裁判官の姿勢が不可欠である。支援の輪が広がり権力の不正を糾弾する世論が大きく高まったとき,真相が解明され,あるいは新証拠が発掘されて,再審手続でようやくえん罪が救済されることもある。
 かくて,再審は,えん罪被害者にとって最後の救済手段であるが,これから本報告書で述べるように、現行の再審手続はそれに応えるものになっていない。
 日本国憲法の施行とともに,不利益再審の規定が廃止され,再審は,えん罪被害者の救済のみに機能する制度として一新したはずだった。しかし,日本国憲法施行後70年以上も経過したというのに,現行刑訴法(再審法)はそれに対応した規定を欠いたままである。
このため,捜査側の手に残されている証拠の開示についても,再審での手続規定がなく,裁判所の恣意的運用を許す結果になっている。また,一旦再審開始になっても検察官の不服申立てが許されており,再審開始の早期確定を阻み,再審公判の遅延を惹起している。
 日弁連は,かねてから再審法の改正を訴え,立法府等にも働きかけてきたが,一歩も前進していない。
 辛うじて再審無罪を勝ちとった死刑再審4事件や,最近の足利事件,布川事件,東京電力女性社員殺害事件,東住吉事件,松橋事件などの教訓から,喫緊の課題である証拠開示と検察官の不服申立ての禁止をはじめとした再審法改正を実現すべく,本シンポジウムではそのゆえんと実現に向けた道筋を明らかにしたい。本書は,その概要を示すものである。
2019年10月3日
第62回人権擁護大会
シンポジウム第3分科会
実行委員長 西  嶋  勝  彦
引用元:第62回人権擁護大会シンポジウム第3分科会基調報告書 https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/document/symposium/jinken_taikai/62th_keynote_report3.pdf