【爆殺事件】張作霖

1936年に楊虎城と共に
蒋介石を拘束する西安事件を
起こし、第二次国共合作を
認めさせた中国の軍人は?
張作徐
康有為
林則良
張学良(答)
36%

1912年1月1日に中華民国の
初代臨時大総統となった人物は
袁世凱である
×(答)
◯孫文
56%

001xFGzLIeLoq
中国の南京にある中山陵は
毛沢東の墓である
×
◯孫文
引用元:孫文【1912.1.1】袁世凱【1912.2.15】 https://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/56092/

かつて中華民国において
国共合作をおこなった政党は
中国共産党と中国◯◯党?
○の漢字をひらがなで答えなさい
こくみん(答)
中国国民党


1928年の列車爆破により亡くなった中国の政治家は張◯◯?
さくりん(答)
張作霖

ですが、その長男で、西安事件を起こしたのは張◯◯?
がくりょう(答)
張学良 ちょうがくりょう

エフェクト
張学良と共に「西安事件」を起こした軍人です
楊虎城
ようこじょう(答)

文字パネル
1924年と1937年に結ばれた、中国国民党と中国共産党の協力体制を何という?
国共合作(答)

順番当て
次の20世紀前半における中国での出来事を、古い順に選びなさい。
辛亥革命 1911
中国国民党の成立 1919
中国共産党の成立 1921
第一次国共合作開始 1924
満州事変勃発 1931
紅軍が長征に出発 1934
西安事件 1936
第二次国共合作開始 1937

張学良
奉天軍閥の張作霖の子。1928年、張作霖爆殺事件の後、中華民国への帰属を表明。1936年、西安事件を仕組んで蒋介石に国共合作を迫り、実現させた。

 張学良は、1928年6月4日に父の張作霖が日本の関東軍の謀略である張作霖爆殺事件によって殺害された。さらに日本軍から脅迫を受けたが屈せず、1928年12月29日、東三省(中国の奉天・吉林・黒竜江の三省。満州の別称。)に一斉に青天白日旗(中華民国の国旗)を掲げ、蔣介石の国民政府に従うことを明らかにした。これを易幟(旗を変えること)といい、中国は中華民国(蔣介石の南京国民政府)によって統一されるべきであるという姿勢を明確にした。
引用元:張学良 https://www.y-history.net/appendix/wh1503-073.html

西安事件
1936年、張学良が蔣介石を監禁し、国共内戦の停止を迫った事件。蔣介石も国共合作に同意し、翌年、日中戦争が勃発して第二次国共合作が成立する契機となった。

 1936年12月、中国国民政府配下の東北軍の張学良が、国民党の蔣介石を西安で監禁し、国共内戦の停止を迫り、それに同意させたクーデター。抗日民族統一戦線を結成する端緒となり、1937年の日中戦争の開始と共に第2次国共合作が成立する。
引用元:西安事件 https://www.y-history.net/appendix/wh1504-057.html

張作霖
中国の東三省を抑えた奉天軍閥の首領。1928年、日本軍に爆殺される。

 中華民国の初期に現在の東北地方、当時のいわゆる東三省(満州)を基盤とした奉天軍閥の指導者。馬賊出身であったが、奉天を中心とした軍閥を形成した。辛亥革命後はたびたび北京進出をねらい関内に入った。はじめ直隷派と結んで安徽派段祺瑞政権を倒し、ついで直隷派と争って1924年には北京の実権を握り、27年には大元帥に就いた。しかし、28年、蔣介石の国民革命軍の北伐軍が近づくと、北京を脱出し、奉天に戻る途中に日本の関東軍によって張作霖爆殺事件が起こされた。関東軍は一気に満州の支配をねらったが、奉天軍閥を継承した息子の張学良が国民政府側についた。
引用元:張作霖 https://www.y-history.net/appendix/wh1503-067.html

張作霖爆殺事件/満州某重大事件
1928年、奉天郊外の満鉄線が爆破され、満州軍閥の張作霖が殺された事件。当時日本では満州某重大事件と言われ真相は明らかにされていなかったが、戦後になって関東軍の謀略であったことが明らかになった。

 1928年6月4日、北伐軍に追われ北京を撤退し奉天(現在の瀋陽)に戻る途中の張作霖が列車ごと爆破され殺された。当時の日本では事件の詳細は報道されず「満州某重大事件」または「奉天事件」といわれただけでその真相を国民が知ることはなかった。その事実が判明したのは第二次世界大戦が終わった後のことであった。
引用元:張作霖爆殺事件/満州某重大事件 https://www.y-history.net/appendix/wh1503-070.html