【今大史伝説】

次の歴史書のうち
紀伝体で書かれているものを
全て選びなさい
『水鏡』
『三国史記』(答)
『史記』(答)
『大鏡』(答)
『今鏡』(答)
『大日本史』(答)
29%

次の歴史書のうち
編年体で書かれているものを
全て選びなさい
『春秋』(答)
『資治通鑑』(答)
『日本書紀』(答)
『水鏡』(答)
『増鏡』(答)

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司馬遷による歴史書
『史記』は
紀伝体で書かれている
○(答)
✕「編年体」

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1084年に中国・北宋の
司馬光が完成させた
編年体による歴史書は?
本歴朝通鑑
紀史記資治
資治通鑑(答)
しじつがん
33%


漢文体の歴史書
全310巻
後陽成天皇まで
林羅山・鵞峰父子が編纂
本朝通鑑(答)

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中国・漢代に書かれた歴史書で
『史記』を書いた歴史家は
司馬遷ですが

『漢書』を書いたのは○○?
○の漢字をひらがなで答えなさい
はんこ
班固(答)

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源氏から徳川氏までの歴史を家系
ごとにまとめた、倒幕に大きな
影響を与えたという、江戸時代に
頼山陽が著した歴史書は?
外日資鑑通
大朝録史本
日本外史(答)
にほんがいし
引用元:『日本外史』頼山陽の歴史書「源氏から徳川氏まで」『史記』司馬遷・紀伝体『漢書』班固 『資治通鑑』北宋・司馬光による歴史書「為政者の鑑」 『本朝通鑑』林羅山・鵞峰父子が編纂 | 【QMA復習】 https://seethefun.net/%E6%96%87%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/1564/

歴史叙述の一方法。編年体に対するもので,本紀と列伝を立てて叙述する方法
本紀は帝王の一代の大事を年月順に,列伝は主として個人の伝記を記す。中国の司馬遷の『史記』に用いられたのに始まり,その後,正史の記述形式として定着。日本では,六国史が本紀の体裁で書かれ,『大鏡』は和文の紀伝体である。『大日本史』はその典型。
出典 旺文社日本史事典 三訂版
引用元:紀伝体(きでんたい)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E7%B4%80%E4%BC%9D%E4%BD%93-51150

紀伝体
中国の歴史書の一つのスタイル。帝王の「本紀」・人物伝の「列伝」・「表」・「志」で構成する。

 司馬遷の『史記』から始まる、帝王の事績を記した年代記である「本紀」と、主要人物の伝記である「列伝」、および年表の「表」、諸制度について記述する「志」の4部から成る歴史書のスタイルを「紀伝体」といい、後漢の班固の『漢書』で完成され、以後、各王朝の歴史書である正史の手本とされる。
本紀 紀伝体を構成する皇帝の事績を記述した部分を言う。
列伝 功臣や主要人物の伝記の部分を言う。
表 年表の部分を言う。
志 分野別の諸制度についてその変遷などを記述した部分を言う。
 紀伝体のスタイルに対して、もう一つの歴史書編纂のスタイルが編年体で、できごとの生起した順に記述していくもの。孔子の『春秋』や、司馬光の『資治通鑑』がそれにあたる。
引用元:紀伝体 https://www.y-history.net/appendix/wh0203-124.html#:~:text=%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%B7%E3%81%AE%E3%80%8E%E5%8F%B2%E8%A8%98%E3%80%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B,%E6%89%8B%E6%9C%AC%E3%81%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82

編年体
中国の歴史書のスタイルの一つ。事項を年代順に記述する。

 歴史書を編纂するにあたり、生起した順に事柄を記述していくスタイルを編年体という。孔子が書いたという『春秋』や、宋の司馬光が書いた『資治通鑑』がその例である。それに対して、皇帝ごとの本紀と重要人物の伝記である列伝などの項目別に記述するスタイルを紀伝体という。
引用元:編年体 https://www.y-history.net/appendix/wh0203-127.html

『水鏡』(みずかがみ)は、歴史物語。成立は鎌倉時代初期(1195年頃)と推定される。
概要[編集]
国書の伝存目録である『本朝書籍目録』仮名部に「水鏡三巻 中山内府抄」とみえることから、作者は中山忠親説が有力である[1]。しかし、源雅頼説などもあり未詳。

いわゆる「四鏡」の成立順では3番目に位置する作品である。内容的には最も古い時代を扱っている。

内容[編集]
神武天皇から仁明天皇まで57代の事跡を編年体で述べている。73歳の老婆が、長谷寺に参籠中の夜、修験者が現れ、不思議な体験を語るのを書き留めたという形式になっている。『水鏡』独自の記事があるわけではなく、僧・皇円が著した『扶桑略記』から抄出したものである。ただし、序文には著者独自の歴史観が盛り込まれており、そこには特異性が認められる[どこ?]。
引用元:水鏡 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%8F%A1

『三国史記』(さんごくしき)は、高麗17代仁宗の命を受けて金富軾が撰した、三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の歴史書。朝鮮半島に現存する最古の歴史書。1143年執筆開始、1145年完成、全50巻。
引用元:三国史記 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A8%98

『史記』(しき)は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までである。このような記述の仕方は、中国の歴史書、わけても正史記述の雛形となっている。

二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の評価を得ているものであり、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されている。

日本でも古くから読まれており、元号の出典として12回採用されている。
引用元:史記 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98

平安時代後期の歴史物語。作者未詳。6巻。ただし増補改修が加えられた流布本は通常8巻,古本系統本は通常3巻。 12世紀に入っての成立か。文徳天皇から後一条天皇まで 14代 176年の歴史を列伝体で物語風に叙述し評論している。『栄花物語』と同じく藤原道長の栄華と人物を主眼として描き,万寿2 (1025) 年雲林院で催された菩提講に参集した大宅世継 (190歳) ,夏山繁樹 (180歳) とその妻および若侍がそれぞれの見聞を語り,批評する座談の形式をとる。同年は道長の栄華が絶頂にあったときで,その時点をとらえて彼に代表される藤原氏の繁栄の歴史を描くとともに,裏面の政権争奪などを鋭くあばきだして,すぐれた貴族社会史となっている。本書の影響を受け『今鏡』『水鏡』『増鏡』などいわゆる鏡物が書かれた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
引用元:大鏡(おおかがみ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%8F%A1-39069

『小鏡』『続世継』ともいう。『大鏡』『水鏡』『増鏡』とともに四鏡の一つ。平安時代末期の歴史物語。 10巻。後一条天皇から高倉天皇にいたる時期 (1025~1170) の朝廷および藤原,村上源氏両氏の歴史を主として記す。『大鏡』に語り手として設定された「大宅世継」の孫で,紫式部に仕えたと称する長谷寺参詣の老女の昔語りを筆記したという体裁をとる。抒情的な文章で,文学,芸術など貴族生活の華麗な側面を詳述し,政権争いなどに触れることは少い。老女の昔語りの時点を嘉応2 (1170) 年としているが,作品の成立期もその頃であろう。作者は歌人として著名な藤原為経 (法名寂超) か。なお巻十の「打聞」は和歌説話や源氏物語論など余談めいたものであるが,かえって注目される。『国史大系』に収録。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
引用元:今鏡(いまかがみ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%BB%8A%E9%8F%A1-32203

『大日本史』(だいにほんし)は、日本の歴史書。江戸時代に御三家のひとつである水戸徳川家当主徳川光圀によって開始され、光圀死後も水戸藩の事業として二百数十年継続し、明治時代に完成した。神武天皇から後小松天皇まで(厳密には南北朝が統一された1392年(元中9年/明徳3年)までを区切りとする)の百代の帝王の治世を扱う。紀伝体の史書で、本紀(帝王)73巻、列伝(后妃・皇子・皇女を最初に置き、群臣はほぼ年代順に配列、時に逆臣伝・孝子伝といった分類も見られる)170巻、志・表154巻、全397巻226冊(目録5巻)。携わった学者たちは水戸学派と呼ばれた[1]。

『大日本史』は光圀死後の1715年(正徳5年)、藩主徳川綱條による命名で、同時代には『本朝史記』や『国史』『倭史』と呼ばれている。質の高い漢文体で書かれ、記事には出典を明らかにし、考証にも気を配っている。
引用元:大日本史 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2

大史(読み)ダイシ
律令制で、神祇官・太政官(だいじょうかん)の主典(さかん)のうち、少史の上に位するもの。
引用元:大史(ダイシ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%8F%B2-557139